風力発電の被害は世界共通だ。低周波被害、風車病に尽きる。風景の破壊や環境破壊、エコなのか、なんてことは枝葉に過ぎない。そんなことは初めから世界中で分かっていたことだ。フランスのモンサンミッシェルの地域では、見える範囲で建設禁止となっている。異常なほどフランス人は風力にアレルギー反応を見せている。
ドイツの風力反対とはまた違った側面を見せる。文化の違いよな。日本の風力反対は、世界的にも特殊な物語になる。『風力発電の被害』に書いたように、日本では被害者弾圧のトリックとして、地域対策の作戦になっていることだ。ワシらは土砂崩れなんだよ、と吐いて捨てる運動員。風力の被害なんか聞いたこともない、と紋切り型のオウムを見る。
風力被害を否定する御用学者に至っては、もう何の説明もいらないだろう。風力被害者は徹底的に弾圧して消されてきた。地域社会から引き剥がされていた。私の悪口も深く摺り込まれていて、汐見文隆医師らと同じ対策だったよ。私は被害地域に暮らす被害者だからね。それはもう大変な迫害にあってきた。周囲の人は大喜びさ。
これは私だけじゃなくて、初めは谷口さんらの重傷の被害者に向けられて、その死に対しても大笑いの歓迎を受けたものだ。その異常な反応に誰も抗議する者はいない。それが風力発電の被害だ、と書いてきた。今もさ、有田川町へ行くと、添付の看板がたくさん設置されている。その隣には風力被害に苦しみ地域を追われて転居した被害者たちがいた。
何の保証もなく、ただ笑われただけの典型的な風力被害だ。この言葉が、有田川町には一つもない。タブーなのだ。なんで?という言葉さえない。考えもない。すっぽりと抜け落ちている。日本では私一人が風力発電の被害を訴えている。今回の記事には低周波被害の言葉はあっても、被害者たちに対する思いがない。見てみぬふりよ。異常者、精神疾患だといいたいのか。
ほっとけよ、という木霊が聞こえてくる。これが日本の風土なのか。世界中で、風力反対、風力被害に抗議運動が起こっている。日本だけ、それがない。いや、風力事業の策略、社会の破壊になっているのだ。ウソばっかりの行動に人々を駆り立てる。人々は進んで風力のウソに乗っかって、被害者を弾圧して喜んでいる。こんな幸せなこともないという。
嬉々として、ワシらは面白うてならんのや、と伝えてくる。周囲の百姓らの喜びようよ、たまらんね。私との差は何なのだ、思う。それが家柄だろうと思っているけど、実は谷口さんら死んでいった被害者たちは泣き叫んでいたからね。よっぽど悔しかったんだろう。低周波被害は苦しくて我慢できないよ。しかし周りから受ける冷酷非情な虐待も、それに拍車をかけて被害者を襲ったのだ。
いい年したオッサンが、谷口さんが涙を流して泣いて訴えていた。人々は笑って喜んだ。こんなことがなぜ起こるのか。実際に多くの人がその話を直接聞いて、見て、知っているのだ。それが何でまた、と私は今も不思議な気持ちでいっぱいだよ。集団心理のコントロール、情報操作、こんな陳腐な言葉じゃない。人々の憎しみが沸騰したのだ。
今は私一人がターゲットにされている。警察は、由良さん、あんた一人でしょ、と繰り返す。安政の大獄が、今も続いているんやね。私には由良守應の歴史があったので助かったよ。警察は所詮そんなものでしかない。吉田松陰などを殺害して喜んでいたんだからね。それで何ともないんだから国家権力とは恐ろしい。それは歴史の一コマではなく、現代まで延々と続く日本社会の有様よ。
風力被害は、暴行傷害、殺人事件だ。警察がどちらに付いているかは明白だよ。被害者を弾圧するのが警察の仕事になっている。水俣でも福島でもな。日本人はインターネットを使わない。アメリカの事や、ヨーロッパのことなど関心がない。島国根性とはよく言ったものだよ。歴史的な文化だね。
それでもさ、風力被害という不合理な公害に、いつか日本人にも理解されることがあるだろうと予測している。今の環境運動家やジャーナリストにその兆しはない。新しい人が出て、世界との齟齬に気が付くしかない。日本の自称・反対運動はウソやないか、とな。死んでいった被害者たちは本当にご愁傷さまだよ。誰か谷口さんの味方になって、風車を止めろ、と言ったか。
笑いものにして勝ち誇っただけだろうが。何がそんなに嬉しいのか、そのワケを話してみろ。タダの面白半分のカラカイが面白いのだろう。君は、その程度の人なんだよ。世間ではそれを何と賢い人だと誉めそやすけどな。私は違う。今回は世界市民だと言っておこう。レベルの低い人とは話が合わない。案山子、奴隷じゃないからね。