China、中国が怖くなった。

冗談とは思うが以前、中国政府の要請として、「日本の中国地方という表現は紛らわしいので止めてもらいたい」という話があった。山陰、山陽の中国地方は、場所的にそう言い慣わされてきた経緯がある。私はまた「なかつくに・中国」という意味かいな、と勘違いしていたものよ。

京都から見て、九州までの途中の国、という意味らしい。ヨーロッパやアメリカ、アジアでも、Chinaを中国と呼ぶ国はどこにもない。日本だけよ。略して呼んでいるんだろうが、少し前のように「シナ」のほうが良いのではないか。シナのほうが、外国の人にも分かりやすいだろう。

我が家には中国人が何人か尋ねてくれた。上海の人、南京の人は、自分のことを中国人ですと言っていた。香港の人、台湾の人は、Chineseですと言いながら、「香港人です」「台湾人です」と付け加えることを忘れない。マカオも独特だった。「台湾 is 台湾、台湾は自由です」といった人もいた。

笑ってはいけないけれど、彼らにも歴史があることを思い知った瞬間であった。私なんかは、香港はイギリスに暴力で奪われたものを、やっと返還されて中国の領土に戻されたれたのだから良いではないか、と思うのだが、どうもそうではないらしい。香港人と一緒に、田んぼで稲刈りをしていたとき、たまたまテレビで香港の雨傘運動というデモがあった。

初は世間話をしていたものが、警察による弾圧を見ているうちに熱くなったのか、「私は香港に帰って、彼らとともに戦わなくてはならない」と言ってすぐに、本当に帰ってしまった人がいた。なにか切実な動機があるらしく見えた。香港の民主主義なんて「イギリスの置き土産」なのにね。さらに彼らの内には、日本やアメリカに住むようになった人たちもいる。

もともと国際派、国際都市の住人だから。その点、日本は野天気よ。危機意識はどこにもない。移民政策を政治スローガンに据えて、堂々と少子高齢化対策を謳っている。日本の政治家には国際インテリジェンス、策謀が分からない。これが私には、どうしても分からないポイントなのだ。きっかけは風力発電の低周波被害よ。

あれだけ被害者が直接、泣いて訴えたのに、その死を目の当たりにしたのに、知らん顔して笑っているのだ。町会議員だけではない。国会議員に至るまで、そのようになっている。誰も風力発電被害に気を留める人はいない。そして行政と一体になって風力発電の建設を推進している。すでに低周波被害の言葉はない。

香港や台湾の出来事と同じく、情報がないのではない。聞けども聞こえず、見れども見えず、なのだよ。たぶん鴨鍋にされて平らげられる運命が待っている。平和が過ぎたとしか思えない。家畜の様に飼い馴らされているのだ。近所の人が風力被害を訴えながら死んでいく。「アホよら」と笑いものにする。「関係ない」という。

人の苦しみや悲しみが、自分の感情として分からないのだ。それはもう人間の姿ではない。家畜として飼われている社会だよ。私は違いますからね。