暗い洞窟に閉じ籠る日本人へ。

2000年も前のプラトンの本には『洞窟の比喩』がある。有名な話だから日本人でも知っているだろう。思い出してくれないか。囚人たちは洞窟に繋がれていて、お互いの姿も、自分の格好も分からない。篝火が焚かれていて、壁に映った影絵を見て暮らしている。ある日、一人が逃げ出して外の世界を見た。太陽がまぶしい、新鮮な空気と風景が広がっていた。その事を洞窟の囚人たちに伝えると、みんなが拒否した。

外界を見たという囚人を皆で殺してしまう。今のままが良い。真実を語る人の厭らしいことよ。こんなテーマを映画にしたドラマを見ただろう。ハリウッドではおなじみのストーリィだ。奴隷根性というのか、支配される人々に現実を投げかける。日本には奴隷制かなかったから、ピンとこないか。信長や秀吉の戦国時代には、たくさんの日本人が奴隷として売り出されていたらしいけど。それがキリシタン禁止になっていく。

日本に奴隷は馴染まなかったようだ。しかし精神性として、権力者に媚びる有様はいつの時代にも見たやないか。今は選挙をやって民意を基本にしているように見えて、これが民主主義か❓ と日本人のアホさを見ている。SNS、インターネットを使った選挙とか、あんまり変わらんな、と思うのだ。添付の風力反対の記事を見てほしい。フランスでもドイツでも、各地でにぎやかにやっている。日本とは様子が違うでしょ。

たしか再エネ・サステナブルはヨーロッパが起源だと聞いているけど、実際はこんな風に反対の声が烈しい。悲惨な風力被害を見ているからだ。被害内容は日本も同じで、同じ拒否感があると思う。しかしそんなものは日本にどこにもない。由良町の被害否定、弾圧の凄さを見たか。私のページには、当初からの惨憺たる虐待の事実を記録している。行政か政治か、経済活動か、いったい誰が風力をやっているんよ、と言われてきた。

オモシロイ、きわめて不思議な惨劇でしょ。そんな風力被害に、由良町の人々は大喜びよ。私は被害者たちから依頼されて、何度も何度も被害を各所に訴えた。それがな、いつか被害者たちは私を嫌悪して敵視する。プラトンの囚人論と同じ結果を見る。人々は変化を求めない。差別、蔑視が面白い。アホよら。アホよら。と踊って見せて笑っている。へ~、こんなになるんや、と私も笑っていた。

私は旧家のボンだからね、彼らとの違いをこれでもかと見た。自分が何者であるか、この時ほど自覚したことはない。特に地域に活用されたスパイ工作員に、人々は簡単に同調して結束する。ワシらは役場が正しいと信じている。オマエは間違っている。と断言するのだった。アレアレ、低周波被害の苦しさに泣き叫んでいた人がよ、私に向かって「出て行けっ」、と叫んでいた。

真っ赤な顔になって泣いているのか怒っているのか、本人には抑えきれない感情が爆発していたよ。すっかり出来上がっていた。精神疾患のもの、そういわれている。風力発電の低周波音は人の精神を狂わすのだ。私だって、被害者にならなければここまで苦しい抵抗はできなかった。私への反感、憎しみを抱いてその人たちは死んでいく。低周波被害の恐ろしさを見たのは私だけじゃない。

それがなぜ、今、【風力の被害など聞いたこともない】と言って笑っているのか。季節風、北風が吹いて耳がつんざくのによ。現実の肌感覚を無視して、閉ざされた空間に写された影絵の世界に狂気が舞う。キチガイやなー、真実が吹きすさぶようだ。海外では烈しく反抗する。しかし日本では、「風力はワシらのもんや。オマエラ関係ない」と言っている。被害者など一人もいないのだった。私以外はな。

さて、各地でやっているお花畑の風力運動の顛末よ。彼らが何者であるかは見ての通りだ。風力の手先で地域対策、世論操作をしているのだ。権力の末端だから、権力を振るう感覚に酔っている。お決まりのセリフにバカバカしさを見ないか。ドイツに習え、とか、フリーエネルギーとか、よくも正気でそんな嘘八百が言えるものだよ。こんな批判精神も日本人にはないか。

私は勉強もできなかったし、貧乏な百姓暮らしをしているけれど、これだけは自慢できる。人間として自由に生きていく。奴隷の生活なんてまっぴら御免さ。