ふと、隣町の広川町の風力被害を検索して見た。ここはh19年、汐見文隆医師が呼ばれて『左脳受容説』に記載された被害現場がある。冊子にして各方面に配布されたという。役場や業者がもみ消しに奔走したと聞く。「あの人たちは一つの事を取り上げて利用する悪い人なんだ」とか言っていた。小学生たちが教諭に引率されて、風力公園の見学会が催される。新聞やパンフになって、地域に出回っていた。
プロの環境屋が仕立てた風力キャンペーンだからね、煌びやかなものさ。今は廃墟になって誰も近づかない。日高町の風力コマーシャルも凄かった。ベタ褒め。全国でも同じキャンペーンが行われていた。それと並行して、自称・風力反対をしているグループもな、デザインの洗練されたポスターを作っていた。これもプロやな、と思ったよ。サイトの写真を見ると、反対なのか、宣伝なのか、と戸惑ってしまう。
被害者の事がない。何が悪いのかも具体性もなく、自然エネルギーだと歌っていた。心理トリックやな。有害な低周波音を測って載せたらいいのに、それがどこにもない。頑なに自然環境を守りましょうとか、環境言葉の羅列であった。それらの関係者と話してみたけど、お花畑、環境運動してますって、感じやな。低周波病、風車病になると、頭をやられるからね、どう対応したらいいのか誰にも分からない。
人間破壊なんだが、そのために風力を止めろ、なんてことにはならない。だって環境運動やっているから環境省には逆らえない。その他の理由を考え出す。更年期障害だ、プラシーボだ、ウソをついている、アホにしまくりよ。初めから無理な話よな。被害者同士の対立もあって、不信感を煽られる。人の悪口ほど面白いものはない。とくに田舎社会は、これまでの憎しみが溜まりに溜まっていて出口を求めていたのだ。
あの人も悪いらしい、と言われると、もう嬉しくてならんのやで。お互いに手を取り合って泣いたとも聞くけど、すぐに死んでしまったり、険悪な対立を見たらしい。被害感、苦しみの度合いとか、役場関係、三井造船とか、シガラミがある。単純に笑われることも多かった。たぶん初めから知っていたんやね、それが風力の誘致に関わっていたと見る。誰も何も知らない内に21本も風車は建たんわ。カラクリがある。
低周波被害を分かっていて、地域対策込みで展開したことだった。このページを見ているキミも、自分の住んでいる地域が、どんな記述になっているのか見たらいいで。風力被害の否定と、隠蔽工作だよ。情報管理が決められている。心理コントロールされるのだ。普通は、被害があったら、それを否定されたら憤慨するもんなんだが、新聞やテレビ、役場の弾圧を見ると、忽ち委縮してしまうらしい。
私なんかは叩かれたら反発する。マムシを叩き殺す時、鎌首持ち上げて向かって来るでしょ。嚙まれたら悪いから、すぐに殺してしまう。今年は12匹も殺したよ。いつか噛まれるんだろう、と思いながら。ムカデやハチにはよくやられるからね。百姓仕事も大変さ。「〇〇町、風力発電被害」とやってみな。広川町や下津町では大変な被害になっている。地域ではみんな知っているんだよ。
それを懲りもせずに「本当は土砂崩れなんだ」と言い続ける地域の人たちのアホらしさよな。カルトだと思わないかい。被害者に対する冒涜が嬉しいのだ。その人の人間性だね。たまに攻撃的な人がいて、「ヘッ、ワシらは土砂崩れなんや」と怒りを見せる奴がいる。お決まりのセリフがあって、これも全国共通のマントラだ。「聞こえない音が、なんで煩いんだよ、アンタ、どうにかしているで」と笑いモノにするのだった。
マウントする、というのか。支配したつもりなんだろうかね。日本では誰も「Stop wind turbines !」ということがない。被害者は認められない。狂人なのだ。ウソつきよ。迷惑な人と決められている。それが日本人の安心感になっている。実際には、みんな真実を知っているんだよ。だからこそ優越感に喜ぶんだよ。差別地があればもう悲惨なものよ。蔑視、罵声、嫌悪を丸出しにする。田舎の社会も怖いわな。
殺人事件なのにさ。現実の被害に大喜びだよ。こんなに日本人社会がアホにされているのに、悪意の演出が止まらない。「風力の被害など聞いたこともない」と誰もが口ずさむ。私に対する敵意を見せて笑っている。由良町も住みにくくなりましたわ。殺された人よりはマシか。こんな被害状況は由良町だけじゃないでしょ。泣き叫んでいた人がいたじゃないか。それをなんで笑いものにして喜んでいるのか、日本人ってアホよな。
このページは、カネでも名誉でもなく、私が生きるために書いている。もう資金は底をついているけど、あと少し頑張るつもりだ。結局、私一人が風力被害を訴えることになった。思わぬ事態の連続よ。君も良かったら参加してみないか。テレビや新聞のマスゴミより、よっぽど面白いで。悪党をからかってやれ。ケツを掻いてやれ。理想を持とうやないか。