被害者に対する共感も、思いやりもないのか。

新聞やテレビでは、アメリカの大統領に返り咲くトランプの世界政治でいっぱいだ。私には【風力発電はガンになる】とスピーチした事件が忘れられない。そう、世界では衝撃的な反風力発電の言葉だった。民主党系の風力カルトは一斉にオチョクリの記事、扱き下ろすニュースにしていたやないか。日本でも同じことで、嘲笑でしかなかった。それは私に対するあざ笑いとして受け止めた。

実際に由良町では、ガンになって被害地の人が亡くなっている。二人確認しているけど、二人とも酷い風車病に苦しんでいた。何度も話したけど、私の抗議が通じることはなかった。アホな奴らよ。ナニが社会との繋がりがあるだよ。地域対策の罠にハマって、アホにされているだけじゃないか。暴力を受けた被害者の事も聞いている。私の悪口を聞いているらしくて、皆さん敵意満面だった。言うたらアカン。

このタブーを破った私が許せない。今や全国で私一人だよ。自称・被害者というのがいるけど、h18年の東伊豆町の風力事件以来、そんな奴に限って簡単に裏切ってくれる。「ウソつきばかりだよ」と言われてきた。頭をやられるんやね。有害な低周波音と弾圧、社会権力による洗脳がある。私なんか、逆に反抗するタイプだけどな。これまでのところ日本では、上から指導されたら反対することはなくなっている。

「私たちは風力発電には反対ではありません」「私たちは役場に協力しています」、決められた言葉を繰り返すオウムになっていた。これを見た環境運動家たちは、ロボットの様になると笑っていた。人は、暴力を振るわれると簡単に動物になる。それが面白い。マニュアル化された地域対策に、人々は喜んで協力して踊っていた。その変身がまた面白い。節操はないんかい。被害者は泣いていたやないか。

ワシらは役場や、と云うか。鬼やな、と感じたさ。とくにその被害者が、風力被害を否定する議員に対してヘラヘラと媚を売る有様よ。こんなになるんや。人の卑しさを嫌というほど見たよ。生きていく術、なんだろうか。由良町では私一人が風力の低周波音被害を訴えている。笑いものの村八分よ。敵意を向けられる。これぞ全体主義、社会主義政策だ。人間としての意志とか思想はない。

被害者の苦しみを見て笑いモノにして喜ぶ。考え、が何もないんやね。アホよら、というばかりよ。政治や行政は悪いけれど、結局は人々の反映でしかない。風力に反対するリーダーはいなかった。ペテンのエセ反対ばかりよ。反対という言葉さえなかった。あるのは「考える」とか、「心配です」とかいうマントラを繰り返す。お花畑の恐怖だったのだ。ブラックジョークでな、更年期障害だよ、勘違いだ、プラシーボだ、とドッサリな被害否定の言葉が溢れていた。

被害者の否定が、それほどに準備されていた。相手は分かっていて自信満々に言っているからね。優越感、権力の手先となると、何でも出来るのだ。悪党は大喜びだわな。風車病は水俣病に似ている。公害の歴史を見ると、その地域社会はコテンパンに破壊される。悪意が煮えたぎるのだ。たまたま日吉フミコや原田正純といった奇跡があった。風力被害では汐見文隆や小林芳正がいた。それで終わりか。私にはとても彼らのような神々しさはない。アホにされるばかりよ。

添付の記事を見ていくと、こんなにして弾圧されるんや、と分かるだろう。それでもな、イプセンの『民衆の敵』にあるように、それがどうした、という人々の無関心に収斂する。被害よりも、「知らなかったことにしよう」、アホよら、となる。恐怖社会よ。水俣の人と話して分かるように、風力被害地でも同じ言葉を聞ける。常にネジを巻かれている。潜在的な被害者はいるだろうに、誰も何も言わない。

裁判は悲惨でしょ。国が相手だから。私はたくさんの風力被害者が苦しみ狂い死んでいく有様を見た。私だけが見たんじゃない。下記の録音には、たくさんの地域の人が聞いて見ている。いや、全国の人がこの風力被害の実態を見た。海外に見られるような「Stop wind turbines !」の言葉はついになかったのだ。これだけ全国で悲惨な被害を見ながら、無関心が繰り返される。

日本だけ、なぜなんだろうと日本人論となる。日本人には何も分からないんだよ。被害者になってもな。海外の風力被害と、常識的な知識を持とうじゃないか。大本営の発表は、ウソと決まっている。

https://yuramorio.com/2018/01/page/5