絶望の風力発電

「由良町、風力発電被害」と検索したら、トップ記事にAIで「被害はありません」と出てくる。これこそが風力被害の正体だ。これだけの現実の被害を見ながら、AIとして、さも公平さを見せながら被害を否定する。スゴイじゃないか。もちろん由良町では、誰もが「風力の被害など聞いたこともない」と言って怒ったり、笑ったりしている。ついでに私の悪口も聞けるだろう。苦しんで死んだ被害者の事はもう誰もが忘れている。

同じ町内でもな、風車の麓の人たちと、遠くに眺める奴のあざ笑いが対照的だ。蔑視、差別がある。お互いに愛想のよいことよ。それに比べりゃ、私に対する敵意はどうだ。隣町に行っても、私は嫌われ者さ。これからは風力の時代だという。それが環境運動家になると、さらにフリーエネルギーだという。地球は自転しているでしょ、というからカルトの色合いに染まっている。

ご本人は得意になって、風力の大型化を喜んでいる。低周波被害、風車病の否定の仕様がまた面白い。弾圧の最先端よ。役場も恐ろしいけど、風力事業にはセットになった環境思想がある。被害者は認めない。たぶん彼らは分かってやっている。ナチスSSと同じ発想だ。ナチズムなんだよ。なぜそんなことが出来るかと言えば、Eフロムの『自由からの逃走』に答えがある。

大きな権力の末端になって、その権力を行使することが面白いのだ。特に弱者となった被害者を殺すことに喜びを覚える。やがては大量殺人へ、ホロコースト、ガス室の効率化、焼却へと狂喜が爆発する。各地でやっている風力の手先は、ヘンな人ばかりでしょ。よくも被害者を否定して笑ってくれたな。それを被害者たちは何のことか分からず有難がっている。由良町で行われた大量殺人は、このような顛末を見たと考える。

大げさな、と云うか。被害調査はしないんだね。『死に山』DEAD MOUNTAINを読んで、添付のこの文面を書くためのものだったと気が付いている。ちょうどニーナピアポントの『Wind Turbine Syndrome』と同時期だ。どちらも同じことを書いているんだけど、補完的な記述が目につく。風力発電の被害で、いったい何が問題なのか、人々の科学的な知識の普及にあった。これが常識だ。

それを日本政府は、政治家は否定する。行政の哀れな対応よ。MINAMATAと批判される公害そのものやないか。日本では、カエルの面にションベンよ。アホよら、関係ないと嘲笑う。人々の嬉しそうなことよ。水俣と同じことが繰り返される。社会が、人間が破壊されているのにそれが嬉しいのだ。役場では、手を叩きながら、アホよら・アホよら、と言いながらクルッ、クルッと回って踊って見せてくれた。

こんなになるんや、と笑ってやったよ。学校の先生とか、大学を出た知識人もいるだろうにな。日本の凋落を見る。私一人では、どうしてもここまでが限度であった。私に助けを求めた人たちがいた。静かに消えて行った。分かる人も中にはいるだろう。あの太平洋戦争の時でも、大本営の発表はウソだと知っていた人は多い。あんな戦争で死ねるかよ、と言っていた。環境省や、政府の言うことが正しいと思うか。

役場が正しいという由良町の人はどうだろう。逃走、遁走やないか。被害に遭って苦しみながらもなお、役場を信じるか。アホにされているのに、その吐け口が私に対する敵意か。なぜStop wind turbines ! と言えぬか。マヌケな話よな。全国の海岸に、巨大な風力発電が建設される。何の役にも立たない、被害ばかりに苦しむ風力に、人々は風力祭りにして喜んでいる。カルト祭りだ。

日本をここまで貶める精神破壊の凄まじいこと。『死に山』では、9人の参加者が全員死んだという。由良町の風力被害を見よ。とてもじやないが、狂っている。被害者も加害者もな。有害な低周波音が、シンシント耳に浸みわたるのは私だけではないでしょ。耳が痛い。死にそうだよ。