風力発電の被害を語ろう。

北風が吹いて、風力発電の立てる轟音が鳴り響いている。狭い谷あいの町だからね、空気振動になって籠るんだよ。低周波音のへばりつき現象だという。たとえ、そんなに音圧は高くなくとも、この被害感・苦しさはどうだ、精神的な苦しみにのたり狂う。風車音を分析図にすると、ピアノやバイオリンのような倍音のあることが分かる。音楽の響きだ。メロディ、卓越した周波数成分がある。

これが人の心に影響する。癒し効果もあれば、地震や雷の恐怖感にもなる。インフラサウンドinfrasoundというから、音の基盤さ。風力被害の何が悪いのか、世界共通の公害が確立されているのに、日本だけが被害を否定する。その政治圧力、行政の弾圧に抵抗する人が日本人にはない。汐見先生は国家犯罪だと指摘した。日本政府は「さらなる再エネ推進」を事あるごとに歌っている。

政治家の口パクも酷いものだ。すっかり政治利権になっているじゃないか。和歌山じゃ、共産党が「あり余る自然エネルギーを使って地域おこしだ」と叫んでいる。自公政権も悪いけど、民主も日共も、どれもこれも悪党ばかりよ。被害者の悪口が人気のフレーズになっている。何も私だけに限ったことじゃなく、広川町でも印南町でも、被害者たちの哀れなことよ。

弾圧する人々は笑って喜んでいるから、余計に風力被害が悲惨な光景に沸いているのだ。いくら田舎の素朴な人たちだと言っても、誰かが被害者の立場になって、【止めろ】と怒ってもいいのにな。今のところ誰もない。私だけだった。人々は口を極めて糾弾する。「辛抱したらええんや」とな。そしてその人が死んだら手を叩いて笑いあうのだ。生贄の儀式よな。全国どこでも同じ風景でしょ。

もはや風力の被害というよりも、地域のお楽しみ、話題として浸透している。ただしタブー視なのは、倫理、人が手を付けてはならない部分に触れる。知らん顔して「関係ない」とせせら笑う習慣になっている。風車群の麓に暮らす人々の辛抱強さは、何を意味するんだろうか。家の中に入ったら音もしないし分からないという。室内では低周波音が籠り、卓越する。

そこにいられない人は表に停めた軽トラで時間を過ごしてから死ぬ。クスリ漬けにされているから、そのように仕向けた人がいる。殺人者だよ。少しでも楽になればいいやないか、と言っていた。恐ろしい地域対策が行われていたことは周知の事実だ。地域の医者たちもな。カネ儲けのダシにしていた。そのカラクリはバレバレなのに、被害者たちにはどうすることもできなかったらしい。

話を聞いてくれるとてもやさしい先生です、と言っていた。汐見文隆医師は、キサマニ医師の資格はない、医者なんか止めてしまえと激怒して拳を振り上げていた。私だけに言ったんじゃない。多くの人が悲惨な被害を見ているのに、誰も抗議の言葉を持てなかった。世界では日本だけだろう。風力バンザイ、被害者はウソつきだ。アホよら、と笑われる。

私は由良町で行われた被害者の弾圧と殺人事件を伝えているけど、全国でも、どこでも同じでしょ。ウソ八百の「考える会」や、自称・風力反対のカラクリを見破る人もいるだろう。御用学者や、環境運動家のアホらしさに、原発計画の時と同じパターンを見ないか。あるいは水俣病などのように、被害者の否定、忘却の手口を連想するだろう。地域要員の、スパイ工作員の酷さに、どこまで悪いんや、と感心したことはないか。

だからアメリカやヨーロッパではあんなにも烈しく風力反対をやっている。風力発電に対する拒否感は、日本人には理解できないほど過激で一般的だ。それというのも前ページに紹介したように、低周波音の被害とは、たくさんの人を狂わせ死に至らしめる恐怖だと認識されている。低周波被害の研究資料もドッサリとある。日本の御用学会のやっている被害否定のアホ学者と見比べるとよく分かるで。恥ずかしくないんやね。

有名大学の教授がその名を並べている。環境省の調査報告書と同じことが展開されている。情けない、としか言いようのない愚行よ。ナチスのホロコーストみたいやで。世界中から批判されるやろう。「MINAMATA」と同じ事やっている。それを行政は拒否する。その繰り返した。「水俣病は終わっていない」と原田正純は書いている。今の水俣でやっているのは事後のもみ消しだ。

同じように風力被害も、もみ消し、否定、風力推進が声も高らかに謡われる。あの時、チッソの排水口を水俣川に移設したという。そしたらワッ、と水俣湾全体に広がって被害が拡大してさらに被害者が大勢現れたという。地獄のような話が記録されている。風力被害と同じ話だ。恐ろしいことだと思わんか。被害者を叩き殺して笑いものにする。もう止めようやないか。聖書にも、汝殺すなかれ、と書いてある。基本的な義務やで。道徳を取り戻そう。人間になろうやないか。