私は風呂を薪で焚いている。裏山と広い蜜柑畑があるから、焚きものに不自由はない。柴刈り、というほどの事もない。ほっといたら自宅も木々で覆われてしまうから。昔、新潟県の長岡市にいた頃も、人々は薪を利用していた。燃料代がタダだから。それと農作業を終えて帰ってくると、火を焚いたら癒しになる。子供の頃はそれで芋を焼いたりした。アジの干物をあぶって、酒の当てにした人もいるだろう。
貧しくたって、豊かな時間を過ごしたと思っている。今、SNS、twitter(X)を見回すと、風力発電の被害を訴える人はいなくなっている。英語やフランス語、ドイツ語で検索するとドッサリあるのに、日本語の世界ではペテンのコマーシャルとかお花畑になっている。もう10年位前から、こんな感じだ。私一人が風力被害を訴えている。各地でやっている自称・風力反対の厭らしさよ。被害に苦しんでいる人がいるんでしょ。
モノ言えなくなってしまうんだろうかね。それが目的なんだが、個人も、社会的にも、これはオカシイ、と感じる人はいるだろう。いや、由良町にはそんな奇特な人は一人もいなくなっているから、どこでも似たようなもんだろうか。それでな、「薪をくべる」とタイトルした。日本には既に風力被害を訴える人はいなくなっている。魂を奪われるらしい。人としての反抗心とか精神性が消される。
風力発電が発する低周波音は、頭をやられることは当初から指摘されていた。地域全体が異様な雰囲気になってしまう。すっかり出来上がっているな、と笑った人もいるだろう。それほどに明らかなんだよ。それで「考える会」などの環境運動家や役場が、行政や政治が、いかに怪しい風車狂になっているかもな。カルト、地球温暖化とか脱炭素とか、環境言葉を実にうまく喋ってくれる。まるでオウムだよ。
私は土木科を卒業しているので環境工学を仕事にした。ダムや発電所周囲の公園計画、地域計画もみた。歯の浮くような美辞麗句に、専門の先生方の技術力に触れた。水、道、緑の3M計画、市民の憩いの場とかね。政治、社会政策だから、地域の人たちは馴染んでいったさ。ダムが出来て、なんかいいことあったか。発電所の騒音に、ひどい音環境の地獄を恨まないか。隠ぺい作戦。黙らせるための地域対策よ。
社会のリスクか。ご自分がその負担に喘いでいるのに、妙な理屈に屈してしまっている。おかしくなった人もいるわな。社会的な暴力よ。それが面白いと人々は笑う。倒錯、自己欺瞞、カエルになってしまうらしい。h28年に由良町を視察した京大の小林先生や奥西先生は、由良町はまるで徳川時代の封建社会だね。と言っていた。幕末、安政の大獄のように真実を言ったら罰せられる。処刑されるのだ。弾圧の嵐よ。
新聞の、なんと悲惨な迎合主義、役場の公報になっていることか。ラジオでも風力発電を絶賛していたよな。マスゴミ、そのものやないか。私の懲罰議会も、その言葉が始まりになっていた。すべては作り話で見ていて面白かった。その時は結構慄いていたかな。役場も議員も人々も大喜びよ。死んでいった被害者の事があるから、生贄よ。『民衆の敵』として糾弾されたんかな。社会正義って何だろう。
このようにして社会は崩壊していたと見るべきだ。由良町だけじゃなく、全国的にも誰も何も言わなくなっている。「土砂崩れが心配です」というセリフだけが浸透している。どこにそんな土砂崩れがあるんだいと突っ込みたいけど、タブーなんだよ。私に対する敵意だけがある。ファシズム、全体主義の社会になっている。なんと息苦しいことよ。各地の被害者で、私のように反抗する奴はおらんのかい。実際にいなかった。
ウソつきばかりだ、と言われてきたけれど、まさに人間破壊、地域対策の成果を見る。全国くまなくだヨ。さすが国策だ。あの太平洋戦争でも、「あんな戦争で死ねるかよ」と言っていたでしょ。それに比べりゃ、今の日本人の無関心はどうだ。月額千円の、再エネ促進賦課税を払えばそれで終わりになっている。莫大な再エネ利権だ。再エネ効果の検証は一切ない。被害調査もしないんだよ。
ただ、環境省の調査報告書で、被害者の否定が公開されてきただけ。「被害を訴える者は精神疾患のものである」という。そのお言葉にひれ伏す日本人たちよ。さすが令和(令に和する)時代だね。逆らう事なきを旨とせよ、だったか。無事に生きたければ黙って従うしかない。奴隷根性よな。巨額の再エネ資金が闇に消えていく。日本にはカネが有り余っているのだ。予算の消化が必要なんだろう。
40年ほど前、高齢化社会を見据えて640兆円のインフラ整備を急げ、とか言っていた。それが今は風力発電や太陽パネルに表紙を代えている。カネの流れがある。社会操作、人々の家畜化が進む。意思も思考も無くすのだ。由良町で聞いてみたらよく分かるで。みんな同じ言葉を繰り返す。デストピアやな。集団催眠術とか。もはや元に戻ることはない。低周波音に苦しみ狂い死んだ人たちは帰らない。
その記憶の悲惨なことに笑いが止まらない。狂気の充満なのだ。大したものだよ。私は一人、薪をくべている。笑いモノの変人よ。人々の笑い声に、そうかい、よかったじゃないかと答えている。このホームページは、だから真実の記録、啓蒙のページとして綴っている。生きるために、黙っていたら殺される。








