風力被害に見る、権利と責務

アイヒマンとは、ドイツのアウシュビッツの強制収容所で大量のユダヤ人を殺した悪党だが、その心理構造の分析で、【悪の凡庸さ】が指摘されてきた。誰でも悪魔になれる可能性があるらしい。風力発電の被害では、私は何度も環境省に電話したし資料も送付して請願を出した。専門の受付があってな、ボロクソに拒否されるんやで。5/24日の産経記事は、私と同じように嫌悪感に怒った人も多いだろ。

なにも環境省だけの事じゃないけど、簡単に人間性を無視するエライさんはどこにでも、いくらでもいる。キシダは「さらなる再エネの推進」と言っているからね。再エネ被害、検証なんてどこにもない。周りの大臣も、まるで口パクになっている。なんやコイツラ、と思ったことがあるだろ。それほど無責任、無思慮、やりっぱなしな政治・行政の現実を見る。政治の貧困ばかり言ってもいられない。肝心の国民性のアホらしさに唖然とする。

日本だけ、特殊な人種なのか。あるいは特別な社会実験されているのか、アカンやろ! と世界の常識を見ながら訴えて来たんだよ。この10年間を見ても、風力被害を訴える人は、誰もいなかった。ペテン、イカサマはたくさん見たけどな。地域対策の工作員だった。風力被害者でさえ、だよ。日本人は、ますます希薄になって、その意識をなくしていく。代わって外人さんが活躍する。テレビでも外人タレントが面白いでしょ。

私は本読みだけど、海外の本が多くなっている。日本人の書く本は、なんか薄っぺらい。中身がないのだ。インターネットが普及したからか? 違う。由良町を見回すと、インターネットで検索したり、新聞代わりにする人なんかいない。時刻と天気予報だけよ。電話機能があるけど、簡単なガラケーで十分だろ。タブレットにする意味がない。この状態も、海外の人と比べると、使い方がエライ違うのだ。

日本は平和だから情報やニュースは必要ないのかもしれないね。それでドッ、と外人さんがやってくる。隣の御坊市には東南アジア系や中国人がたくさん歩いている。人口2万人の田舎町だからさ、なんで❓と不思議な危機意識になるんだよ。こんな田舎町は多いだろう。東京だって、外人さんの町になっているというじゃないか。もはやブロークンな英語、なんて言葉もない。中国語だったり、アラビックだったりと、遠慮はない。オマエ、日本人か、と見られる。

私はよく「コレアン?」と言われるからね。そう言われる原因があるかもしれないね。日本人からも「由良さん、アンタ本当に日本人かい」と言われてきたからね。ええ、そのつもりなんだけどな。環境省は、ここまで悪さが露見したらもう廃止しかないだろう。それが使命だったのだ。10年前にはまだ、水銀被害を否定していたで。今も水俣病の裁判が続いているでしょ。虐待と差別。顔を背けるしかない悪意を環境省に見る。私も無茶苦茶言われたからね。

ヤクザ顔負けだったよ。本当にこれが公務員か。由良町でも同じだった。被害者を弾圧して喜んでいる。被害地に住む職員もいるだろうにな。アイヒマンになっていたんか。いや、事態はもっと進んでいる。日本が溶けていく。例えばハワイみたいに、原住民は貧困にあえいで虐げられる。そこに富裕層が来て君臨する。金持ちには国籍も人種もない。支配者なのだ。そういえば我家も昔、都落ちとはいえ「由良の庄」という荘園でお気楽に暮らしていた。

原住民もいたらしい。今はすっかり貧乏な小百姓になっているけど、それでも対立は見ての通りだ。社会の本質は変わらない。新たな支配システムになるんだろうね。分に応じて。誠実な人がいなくなったな。そんなこと言ったら笑われるか。何をおとぎ話を言っているのかとな。まるで浦島太郎だよ。アウシュビッツの看守たちは、自宅に帰ると良き夫であり父親だったという。しかしナチス礼賛の精神性は消えることはなかった。

日本だって、少年飛行兵の最後まで頑な精神性を見ているだろ。憲兵とかさ。だから環境省の人を見ると吐き気がするのさ。役場の人もな。被害者は人ではない。キチガイなんだと、この報告書にも書いてある。日本人は誰も関心がない。当たり前すぎる現実だ。それに対して外国では、NO、NEIN、NON、と否定する。日本人にはない精神性だ。アホと違うか。