風力発電被害の倒錯、逆な誤謬

風力発電の低周波被害で警鐘を鳴らしてきた汐見文隆医師、ニーナピアポント医師、他にも多くの研究者がいて、何が悪いのかを伝えてきた。被害を否定する人は世界中にいて、これも日本以上に巧妙な手口で人々を騙していたものさ。騙された❓ それは違うな、と私は見ている。初めから低周波被害者が続出して苦しんでいる。『Wind Turbine Syndrome』に書いてある通りだ。

音響学者、例えばコンサートホールや、ビルの設計では、どんな音が、どんな響きをするのか、高度な設計技術が確立されている。振動学者、京大の小林芳正教授は振動学の権威であった。地中の断層や空洞、大気の空気振動まで幅広く研究の成果を上げている。科学、物理的な真実は一つだ。「聞こえない音は身体に影響しない」とか、そんなことあるわけないだろう。常識的に考えて、太鼓の音とか、除夜の鐘とか、音の響きとして体感できるものはいくらもある。

私のような土木エンジニアなら騒音測定が業務に含まれる。実際は専門の測定業者がいて、協力業者として成果報告書を提出することになる。基本事項は理解して押さえてあるから、環境設計も含めて、一般の人とは認識が違っていたかな。公共性がある。社会的受容とか、社会ニーズとか、インフラ、社会基盤なのだ。だから役所での打ち合わせ、会議はいつも、「ああでもない、こうでもない」と同じ事の繰り返しを絵にして積み上げていく。

突然、審議会などから注文が入ったりとかな。S57年の西名阪自動車道、香芝高架橋の低周波被害訴訟は大変な事態だったのだ。ちょうど水俣病、イタイイタイ病が明らかにされている。公害列島日本と言われていた。香芝高架橋は全面改修だ。国側の逆襲はそれはスゴイことになっていた。水俣や富山でも被害者はコテンパンでしょ。人とは見なされない。公害はそんな結末を見る。由良町で風力被害に苦しみ死んだ人の哀れを見よ。

社会的な暗闇に、人々はすっかり動物と化していた。h18年の東伊豆町などの風力被害でも全く同じ有様よ。ついに日本では「風力発電を止めろ」(Stop wind turbines !)と言うことが出来なかった。被害者組織、環境運動自体が初めからセットされた罠だったのだ。「被害を訴えるものは精神疾患のもの」だという。こんな見識が日本に定着していた。人々は大喜びだよ。なぜだ!と私は訴える。人の不幸が面白い。蔑視、嫌悪、怒り、ターゲットにされたらたまらない。

本当は地域そのものが、えらい状態に置かれているのに、それが人々には分からない。水俣でも富山でもそうでしょ。被害者に対する差別がすごい。弾圧のすさまじさよ。畑地区では谷口愛子さんは小便を掛けられたり車のタイヤをパンクされたと言う。他の人も同じような虐待を受けたと聞く。みんなと一緒に、と被害者は言う。「みんな」って誰や。ヨーロッパやアメリカでは、いや、アフリカや南米、オーストラリアでも、風力発電反対・抗議デモが盛んに行われている。

その烈しい怒りに、何が悪いのか明らかだ。ところが日本では、誰もその事実を伝えない。「由良さん、ここは日本ですよ」と言っている。日本人は特殊なのか? カミカゼ、特攻、自爆攻撃みたいに、犠牲・生贄に素直に称賛する。大本営発表に狂喜する。ウソでしかないのに。それは違うでしょ、と言えないのだ。政府なんてカラッポ、無責任の塊なのにそれが分からないか。とくに被害地域に暮らしていると、思想統一された言葉、会話の酷さに気が滅入る。

実に私一人なんだよ。人類社会は家畜化の文明だと言う。人もまた家畜として発展、歴史を紡いできたと言う。「神は死んだ、超人よ」とか。風力発電が神となるか。アホらしくて、トテモトテモ。でも人の心を奪い去った事実だけはここに書いてきたとおりだ。被害者の死を見て「アホよら、アホよら」と手を叩いて踊ってみせる。人々は笑い喜んでいる。地獄の風景なのに誰もその異常さが分からない。各地の風力被害でも同じ有様でしょ。

だから海外では、あんなにも烈しい抗議活動になるんやで。日本で今やっている各地の風力反対を見て見ろ。「私たちは土砂崩れが心配なんです」と繰り返している。こんなアホ相手に何を言っても通じない。カルトになってしまっている。恐ろしいのは日本人にはこの危機が理解できない。空中浮揚とか、超電導だとか、昔あったオウム事件のようだよ。たくさんの被害者が殺されたでしょ。何が悪かったんだろうかね。

修行しているかい。「風力反対」と言いながら、中身は正反対になっている。誰も間違ったロジックに気が付かない。それが巧妙なテクニックだと言うのだ。一旦洗脳されたらもう後戻りはない。「看守と囚人」は、実験後も長く定着する。ナチスとか、憲兵隊とか、その後の姿を見ているでしょ。そうなってしまうのだ。日本人よ、風力発電の低周波で目まいがしている。耳鳴りがしてしんどいことよ。真実は一つだ。