風力発電の情報支配

この10年間の風力発電の建設ラッシュを振り返ってもらいたい。奇妙な、ヘンテコな風力反対が繰り返されてきただろ。各地で、それぞれの「考える会」で、地域の人を集めては署名運動や【お花畑】が賑わっていた。自然発生的に、自主的に、こんなイベントが賑わったと思うか? いつもの御用学者が全国に出向いて講演する。環境運動家が何やらスローガンを叫んでいる。

判で押したような言葉が繰り返される。「ドイツに習え。ドイツでは上手く行っている」とな。今もそんなアホらしい洗脳をやっているからね。日本人はそれほどアホやった、と言うしかない。国策だからね。役場が付いている。農協とか、元教師とか。悪党議員とかね。地域を支配しているつもりなんだよ。風力被害・風車病に遭って苦しむ人に対する弾圧のすさまじさは、由良町だけではない。

このページでは、私がターゲットになって、生出演で彼らの弾圧を目に見える形で示してきた。人々は大喜びよ。誰も「止めろ」なんて言う人はいない。笑いものにして喜ぶだけの町民、被害地の風景があった。本当に誰も助けてくれなかった。アホにされっぱなしだ。他の被害者たちは暴力を振るわれたり、たくさんの嫌がらせに泣いていたのに、その事を怒りにして訴えることはなかった。

生贄として、死んでいっただけの事よ。儀式の主役にはなったかな。「風力の被害など聞いたこともない」たくさんの被害者が苦しんでいるだろうに、誰もが呪いの言葉を繰り返す。もはや人間じゃない。ロボット。動物みたいなもの。ヘンになった人を見て人々の笑いは止まらない。「アホよら」そう言って吐き捨てる。優越感と、人の不幸が面白い。地獄の風景なのに、地獄の鬼にでもなったつもりで、せっせと被害者の悪口を吹聴する。

「あの人はウソをついている」とな。そして汚い笑みを見せるのだ。みんな地域の仲間なんだよ。いや私は違うからね。村一番の旧家で、人種が違うんだ。村八分で結構だよ。由良町で見た社会実験の有様は、『風力発電の被害』に書いたとおりだ。2016年に大急ぎで書いた。弾圧の嵐の中で、よくも私だけがここまで意志を貫けたな、と思っている。あまりの異常さに、これは本にして知らしめないとアカンな、と強く使命感みたいな時間を持った。

建設コンサルタントをしていたからね。報告書を書くのは慣れていた。それでも被害者たちの、私に対する変貌を見ながら、「風力発電の被害とは何か」と社会的な分析を続けるのは大変だったよ。みんな私を敵視していたからね。今もそうだけど。なんで皆さんは私を憎むんだろうか。これだけ低周波被害だ、弾圧だ、と言葉にして説明しているのに、【敵】は、土砂崩れだの、新しい風力発電技術だの、悪意や敵意しか見せることはない。

被害者がいて苦しんでいる。恨みを残して泣きながら死んだ。そんな多くの被害者を見ても、地域の人々は笑っている。これが日本人の姿なんか。親切にした分、アホにされて反撃を食う。舐められたんやね。そこにはこれまでの歴史や、健康的な人間関係はない。私だって、タダの人間だからね。好き嫌いもあるし、感情的にもなる。嫌な人もいる。風力被害を通じて、その人の本当の姿が透けて見える。

有り難いこともあったけどな。現実は真実ではない。虚構の世界になってしまっている。風力発電は、元々嘘だからね。風もないのに風車が回っている。デモンストレーションなのだ。それを技術の進化というか。フリーエネルギーとか。カルトだよ。現実を見れば、人々にはそれがウソであろうと自然エネルギーであろうと、どうでもいいことで、社会政策としての実態がある。被害は認めない。

土砂崩れが心配なんです。精神支配よな。何が悪いのか、何が間違っているのか、日本人も常識で気が付いてみないか。風力被害者はごく少数で、人間的に劣っている。精神的なダメージが大きい。苛めの対象だ。それでよいのか。たしかにアホでしかない奴はいる。しかしな、由良町の被害状況、人々の反応を見て、これで良かったと思うか。黒い煙が立ち込めている。呪われた町。人々の気持ち悪さよ。

これが海外の風力反対を見ての感想だ。人の思うことに差はないだろう。ハリウッド映画を見たら誰だって意味が分かるんでしょ。日本人はまた別な映画を見せられているんやで。プロパガンダ実況中継とか。大本営発表のウソが繰り返される。いつか見た風景よ。