日本人はこうして騙されてきた、と書いてきた。国際政治では翻弄されてきたと言ってよい。日本人のレベルの低さが、際立つ。先進国としての自認も、自惚れ、夢想でしかない現実を見る。反科学主義、幻想主義、カルトやないか。再エネ政策のアホらしさに、誰も抵抗することはない。民度の違い、かな。政治や行政のスローガンに、人々は簡単に迎合していた。ウソでも何でもいいのだった。
自然エネルギー、カーボンニュートラル、耳触りの良いフレーズに、「それは違うでしょ」と誰も反抗できない。検証も実態の確認もないんだよ。再エネの効果、結果、なんて言葉もない。ダダ漏れに税金、社会が費やされていく。ナニ、再エネ賦課金が1万円高くなったとか、原発再稼働とか、常にカネと権力闘争が渦巻いていく。被害地域の惨状を見て見ろよ。
人々とは摺り込まれたスローガンを口ずさむ。まるで自動人形やで。反対する者は許さない。社会規範にして、「それはアカン」として体制側にあることを誇っている。被害者は無いのだ。被害を訴えるものは、なにか勘違いしている、精神疾患のもの、否定しなければならない反逆とする。嫌悪の対象よ。ここまで日本社会は凝り固まってしまう。
h18年の東伊豆町の風力被害以来、全国でこれだけの被害者を出しながら、なんで日本人だけが、被害者を弾圧して殺して喜んでいるのか、と異変を訴えて来たものだよ。どうしてもそれが日本人には分からないらしいのだ。全国でやっている「考える会」の正体は、実際は初めから地域対策の罠だと指摘されていた。私だけが心理トリックの罠だと言ったのではない。
由良町畑地区でもその言葉は何度も聞いていた。風力被害の策略を知っていながら、結果として被害者たちは密閉されて消されていた。2019.2/7日のページにある録音の通りだ。主催者は全国で同じ調査・指導をしていると発言している。地域の協力者、スパイ工作員、総出で被害者を取り囲んで消し去った。一旦、彼らに捕まると魂が奪われるらしい。
すぐに亡くなるもの、今も生きているもの、その差は何なのか私にも分からない。ただ、生き残った人と話しても気持ちの悪いだけ、ウワッ、という恐ろしさを感じてしまう。人間の皮を被った、何か得体の知れない人。これも究極の姿よ。また裁判されたら悪いから詳しくは書けないね。風力被害を訴えるとは、今や命がけの逃走になっている。アホにされて生きる。なかなか出来ることじゃない。
私は、たまたまこんな状況に置かれたから選択しただけの事だ。誰かが、この凄惨な風力被害を明らかにして訴えなければならない。償ってもらわなければな。同時に、水俣や福島の被害者と話した。コテンパンに封印されている。昔の話じゃない。今、現実に水銀被害や放射能被爆に苦しむ人がいる。悲惨な被害者たち。社会から否定されてボロクソやで。
風力発電の低周波被害もな、同じ原理主義になっていた。被害は認めない。被害を訴える人の勘違い、妄想なのだという。あたかも心配する風を装ったニセモノたち。【お花畑】と言われて久しい。日本で、環境運動と称してやっていることは、地域対策、社会コントロールの一環だ。一度でも「被害者がいて苦しんでいる」と言ったか。被害の否定と、被害者に対する弾圧だけであった。
この抑圧に、誰も抵抗できんのかい。私一人なんかい、と書いてきた。由良町の暗闇はスゴイで。秋田や山形の風力地獄では阿鼻叫喚と喜びの声にあふれている。狂気、としか言いようはないのに誰にもそれが分からない。作り物のニセモノたち。究極の被害者たちを見る。全国で同じ被害があるんでしょ。風車の町、とか言ってさ。「私たちは土砂崩れが心配なんです」と言って聞かない人がいる。
私が、風車病という被害があるから怖いんですよ、と言っても聞き入れることはない。全国的にも、言論の統制、意思統一が徹底している。「関係ない」というのが一般的かな。私は、同じ町に住みながら、よくもまぁ、こんなに被害者を笑いものにして喜んでいるな、と感心しているんだよ。同情とか思いやり、なんてどこにもない。敵意、蔑視、すさまじい怒気を見せられる。おお怖ワ。
すべての被害者は私を裏切っていた。手のひら返し。あれま! と思ったけど、それは被害者たちの判断だ。すぐに死んだ被害者は良いとして、ジッと苦しい症状に、弾圧に我慢して人生を暮らしている。数年経ってから被害症状が出てくる人がいる。しっかりと苦しむんだな。海外では、どの国でも「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)と抗議している。
日本では弾圧政策に人々が大喜びしている。暗闇の町。真っ黒けな日本社会。政治や行政を指揮しているのは誰なんだろ。大成功やないか。キシダは「さらなる再エネの推進」と謳っている。嘘八百の物語に、立ち向かおうやないか。