泣いた理由

4/7日の産経記事だが、橋本佐内が斬首されるときに、流泪滂沱として泣いたとある。安政の大獄である。『花の生涯』で見たのとは対照的で、やはり対立軸があるからこそ物語の本質が見えてくる。我家には由良守應という面白い男がいて、この時に和歌山から追放処分にされている。

よくも殺されなかったものよ。陸奥宗光なんかもこの時すでに、和歌山にはいなかったから、同じような目にあっていたんだろう。不思議なことに、守應の弟の由良溪五郎はこの時、長州藩に150石で召し抱えられている。桶町の千葉道場で免許皆伝の腕前だったという。

当然幕府と戦っているから、守應の追放も分かるような気がする。『風雲雑記』や『留守居録』に記録があるらしいから、一度読んでみたいと思いながらここまで来た。とまれ橋本佐内の涙の理由よ。普通に考えれば、殺されるのに悔しく思わないものはいまい。ここには書かれていないが、役人たちの心情はどうだったんだろうか。

これは今も昔も変わらない、と私は考えている。去年の風力裁判の時、私も警察や検察官の酷さを目の当たりに見た。「警察はダメでも、検察庁という所があって、そこはまた違うらしいで」谷口さんはそう言って、検察庁に伝手をたどっていた。何のことはない、それがさらに谷口さんを追い詰める最後の鉄槌になるのだ。

よほど酷い目にあったらしくて、タイヤがパンクされていた、とか、ジッと私を監視している人がいる、とか、何度も私に電話してきたのだ。風力発電の低周波は頭をやられるからね。そこに被害者対策としての弾圧がある。環境運動家たちの喜びようは凄まじかったよ。

個人の問題だろ、しっかりと虐められてこい、まだ言うてるんか、風力被害の最初から付きまとってきた連中は、どれも同じ言葉を繰り返していた。地域対策の手先だったのだ。知っていたけどさ。私の周囲の人も、大体同じ言葉を伝えてきたから、誰かがタクトを振っていることは分かっている。原発の時と同じだ。

いや、今回は地球温暖化などという環境運動の旗印があるから、何が大切か、世界の方向が示されている、というのだ。もちろん田舎の連中にそんな知識があるわけでもなく、それらの言葉は故意に注入されただけの口パクでしかないだろう。だとしても、私を取り囲む社会が、しょせんこんなものかと泣けてきたものよ。

それがこの記事にある橋本佐内の涙とダブったのだ。今、各地には風力反対を訴える運動が起こっている。しかしその内容は、すべて風車病、低周波被害を隠蔽するためのカモフラージュだ。「土砂崩れが心配だ」というのだからアホに付けるクスリはない。どの被害地でも風車病に苦しむ人がいるのに、誰一人として、風車を止めろ、とかいう人はいない。

笑いものにして無視するだけだ。問題は、被害者が苦しんでいるのに、それが理由で死んでいるのに、笑いものにして喜んでいる人々が社会を占めているということだ。モラル、道徳の崩壊、と言うことは簡単だけれど、これほど易々と社会がコントロールされていることに驚かされるのだ。罰金40万円、人々は腹を抱えて笑ったようだ。

周囲の人は、それほど嬉しかったのだ。理由は何でもよい。そりゃ、人が苦しみながら死んでいっても「ワシら面白うてならんのや」と笑うようになっているんだからさ、もう何も言う気にはならんわな。たまにtwitterを見ているけれど、風力被害を訴える人も心配する人もいない。せいぜいが土砂崩れが心配、とかコマーシャルばかりよ。

これだけ情報が溢れる社会になっているのに、日本人の意識がどうしてもそれを消化できないのだ。いいように社会がコントロールされている。Twitter記事ではないが、本当に小泉某が総理大臣になるんだろうか。下馬評では一番人気やないか。それが今の日本を象徴しているように見えるのだ。政治の貧困か。

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