松茸栽培について

私が子供の頃、裏山にまだ松茸山が1haほどありました。松茸とタケノコを売った金が生活費になっていて、湯浅の市場で父母の出会いがあったと聞かされたものでした。正月になると結構、松茸とサンゴ礁のようなネズミ茸を白菜と焚いて食べていました。どちらも同じ味でしたよ。「匂い松茸に味シメジ」、私はシイタケを甘辛く炊いた料理の方が美味しかったと思います。

30年ほど前、測量で大阪の山に入った時、しばらく歩くと松茸の匂いがすることに気が付きました。松茸農家に育ちましたから、その辺は間違いのない感が働いたものです。すぐに数本の松茸を見つけて頂きました。傘が大きく開いたものもあって、持ち帰るのに難儀したかな。味噌汁に入れて炊いて食べたけれど、あまりおいしくはなかった。

さて、赤松林と松茸の再生の記事のことよ。11年で4本の松茸を収穫したとある。笑えるではないか。無理な話を書いているのだ。松の木は建築材になるほどの大木になる。農家の「覗きヒツ」に使う大きな大木よ。梁も頑丈な松でしょ。そんな大木に松くい虫が寄生して松の木を枯らすから消毒が欠かせない。高さが10mも20mもあるから、手散布では無理で、どうしてもヘリコプターなどを使って空中散布になる。

ミカンの木のように、剪定して、高さを抑える手もあるが、他の雑木やシダとのバランスがあって、松茸栽培の環境造りにはとてつもない手間暇がかかることになる。消毒にはスミチオンが効くらしいけど、大量に使うと、やはり金額がかさむからね。年に何回も散布しなければならないだろう。松茸が出る環境は、やはり地形や地質、植生などの自然の演出が必要なことが分かるだろう。

菌だけではなく、虫や蛇、猪などの活躍も要るのかもしれない。かつては海岸だろうと岩山であろうと、松の木はどこにでも生えていた。それが今、松などどこにもない。盆栽に残されている程度だろう。それでさえ消毒が欠かせない。30年前からこんな感じだったから、地球温暖化はあまり関係なさそうだ。雪のある地域の松が最後まで残っていたから、松くい虫は寒さに弱かったんだろうね。

この記事では、里山とあるが、和歌山では村山と言っている。昔は竹や柴、ホド木を採りに村山をたくさんの人が利用していたけれど、最近は「村山」を知る人もいないやろう。村山へ通じる道は里道と言って、いくつもの勝手道があったけれど、それさえ今は誰も通らないから自然消滅している。最近のコンパクトシティ政策からは、真逆の考えよな。私は、どちらもアホらしく思っている。

松茸栽培は、趣味の世界で楽しめばよい。11年で4本採れれば良いではないか。その時、すぐに取らないで、若い人にその匂いを覚えてもらうとよい。年寄りだけの世界にしては、いずれ松茸文化は消えてなくなる。たぶん私が最後の世代だろう。松茸の匂いを覚えておこうぜい。