由良さんはウソをついている、とみんなが言っている、という伝言

私が由良町で見たことを情報発信して訴える中で、周囲の人から、同じ言葉を同じ順序で聞かされてきたことは、これまでこのブログで書いてきた通りである。畑地区の谷口さんからも、皆が親切に、同じ情報を持って来てくれる、と言っていたものよ。普通に考えれば、わざわざ人の家まで来て、「ウソをついている」と伝えにくる人は、そうそういるもんじゃない。

姉妹とか、よっぽどのトモダチとか、限られた人が心配して、というか話の中で出てくるくらいだろう。なかには怒りに顔を歪ませて、怒りながら「ウソつくな」と言ってくる人もいた。環境運動家たちは「オオカミ少年」だと言って笑いものにした。つまり彼らには「私がウソツキだ」ということに意味があることを自覚して言っているのだ。

人付き合いの少ない私には、周囲の人と言っても限られた少数の人々でしかない。いつも裏山のミカン畑で百姓してるからね。一人暮らしだから、誰とも話すことなんかないのだよ。それをよ、何をどう思ったかしれないが、「由良さんだけやで」と告げにくるというのは、目的を持って来たということだ。悪意を滲ませていた、と感じている。

こんな私でも、1年前までは町会議員をしていて、世間の話を聞いていた。まるで魔法の世界やな、と思うやないか。呪いがかけられている。数日前、40年ぶりに大学時代の友人から電話が来た。勉強ができて優秀な人で、県庁に入り、幹部職員として退職して、大手企業に再就職したということだった。すごろくの「アガリ」に立ったというのだ。

家も新しく建てて仕事も順調だと言っていた。私がブログで風力発電の被害を訴えていることは知っていたという。定年退職して、やっと電話できたというのだ。彼は日本海側の町に住んでいて、その町には風力発電がたくさんある。「風力被害者に泣いて頼まれたんや。エライ役をもらったよ」と私が言うと、「そんな被害があるんか。全然知らなかった」と彼が返す。

ウソつけ、環境課に在籍していたことはインターネットで直ぐわかるし、その周辺は風力被害で有名ではないか。ふと40年前の大講義室での出来事を思い出す。彼は間違って別の教科書をもってきてしまった。私は笑って「アホやなオマエ」と言ったことを覚えている。彼は「人が困っているのに笑うのか。ひどい奴やなオマエは」と怒ったのだ。

私は「ちょっとした失敗だったら笑って話すんじゃないか。和歌山ではそうしているで」と軽くいなしたつもりだった。彼は「いや、そんなことはない。人の失敗をあざ笑うものなんか和歌山くらいのものだろう」と譲らなかった。私は別に気にもしなかったけれど。今、立場は全く違って、「知らない」と彼は言っている。和歌山県庁でも環境課の幹部職員たちから同じ言葉を聞かされてきた。

彼の正義感などこんなものだったのだ。職業病なのか。そうなのかもしれない。大企業で「部長なんや」と言っているのかもしれないな、と学生時代の夢物語が懐かしい。先日も担任の先生だった早川典生先生が亡くなったことを聞いた。私にとって輝くような長岡技大の青春だったのだよ。もとに戻ると、少数者を差別して迫害して、社会を支配する構図は江戸時代のままである。

小林先生たちが由良町に視察に来た時、「由良町はまだ徳川時代の封建時代のままなんやな」と笑っていた。水俣病の老弁護士にも、「まだそんな封建制度が残っているとは驚きだ」と指摘された。風力発電の低周波被害は、深刻な健康被害を人々に与えて苦しめた。たくさんの風力被害者が泣きながら死んだ。それを否定して「信じられない」「ウソつくな」と私に抗議にくる人に、私はこれ以上の関りは持ちたくはない。

「人ではないな、お前は」と腹立ちを抑えられない。その人たちは、自分が正義の使者にでもなったつもりなのだ。谷口さんの被害を訴える動画を見せても、声を聞かせても、嫌悪の表情しかないのだ。すごいことだと思わないか。たとえ洗脳されていても、騙されていたとしても、人が苦しい助けてくれと言っているのに、「ウソつくな」「関係ない」と拒否するんだよ。町の発展、地域活性化よな。

今、周囲の人はエラク貧乏くさくなったと感じている。私も百姓で貧乏しているけれど、カネだけではなくて、夢とか希望とか、笑顔とか、何か大切なものが急速に失われているように感じるのだ。人口が減っている。活気がない。社会の繋がりは、とうに変わっていた。潮目やね。生き残りをかけて人々が滅んでいく。新しい時代はもうすぐだと感じないか。

かなりのワルさに、適応できるものだけが生き残るのかもしれない。それにしても風力発電は悪い。大変な目的が秘められているようだ。

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