風力発電と、「水は燃える」という人たちと

しばらく前から、環境運動家が「水は燃えるんです。もう再エネは必要ありません」と言っているのを聞いていた。twitterでは、私宛に、それこそ毎日、どっさりと同じメールが送られてきた。Twitterホームにも同じ記事がちらほらあったが、特に目立つものではなかった。ガセが多いからね。そんなもの気にしていたらtwitterはやってられない。

被害者の会の窪田泰さんに聞いてみると、全然そのようなことはないという。私だけに送り付けていたようだ。普通に考えて、水が燃えるはずがない。なんでガソリンの代わりに水を入れて、車が走るんよ。ところが環境運動家が言うには、トヨタや日産ではすでに水で走る車が開発されていて、経産省がストップをかけているんだという。

ここまで来るとウソも立派なものよ。しかし「水、エネルギー」と検索してみると、彼らの言う通り、企業化したホームページがアップされている。どうもおかしい。いつもの小林先生に聞いてみる。「眉唾だよ」ということだった。小林先生は水素エネルギーがよさそうだと関心を示しているが、私はどうも疑問視している。危ないのだ。

私は風力発電に対する彼ら環境運動家の活動を連想した。野鳥の会や「考える会」日弁連など、それこそウソ八百を吹いてエラぶっていた。風力発電は効率がよくて、今後、自然エネルギーに変わるというのだ。今も変わらない。彼らの言っていることは事実と理想、夢物語の区別がないということだ。ウソを平気で吹いて気にする風もない。それこそ精神疾患だと私は感じている。

同じように、「水は燃えるんです」という今回のアホらしさはどうだろう。まったく同じ構造が見て取れる。オウム教みたいなオカルトよ。トップページにアップしているように、ドイツの緑のヤッケを着た「緑の党」と同じだった。ナチズムだった。

由利本荘市の海外視察の報告書があったので、見てください。ヨーロッパでは、たくさんの風力反対運動があるのに、問題はない、としている結論よ。由利本荘市にもないし、日本全国にもない。これが行政、議会の正体です。恐ろしいと思わないか。由良町でもそうなのだが、人が苦しみながら死んでも笑って「関係ない」というのだ。

由利本荘市でも「関係ない」と言っている。由良町、伊豆や伊方、あちこちの被害地で、被害者がどうなったのか思い出してほしい。いずれは死ぬし逃げ出していく。残ったものは黙って「被害はない」と繰り返す。ヨーロッパやアメリカでは抗議運動があるのに日本には一つもない。すごいじゃないか。

これまで私たちが大切にしていた道徳観などどこにもなくなっていた。人のことは関係ないのだよ。私は、風力発電の被害を通して、人というものが、どういうものなのか明らかに見えたと思っている。下記の報告書は、最新のものだから、是非、見てみるがよい。これが日本社会の姿なのだ。

由利本荘市洋上風力発電海外先進地調査事業報告会