風力発電を拒否した地域

由良町で引き起こされた風力公害は、被害を訴える人がいなければ、多分、誰にも知られることなく、無関心のままに忘れ去られて過ぎたことでしょう。

初めに、H.19年に汐見文隆医師が由良町阿戸地区に来て、勉強会を行いました。この時、役場職員が参加者をすべて記録して、後日、圧力を加えて風力事業にかかわらないように弾圧しました。熾烈な対策だったようです。

私はこの時、何も知らされず、風力事業のあることさえ知りませんでした。何でも秘密だったのです。後日、由良風力、広川明神山風力の時も、掲示一つなく、知らされることはありませんでした。

由良風力が出来て、H.24年になって、初めて汐見先生という低周波被害を研究している方がいて、由良町にも講演に来たらしいことを聞きました。

そしていったんは日高町との間に計画されていた風力事業を中止にしたこと。汐見先生の講演に参加した人は皆さん、「もう風力だろうが何だろうが関係ない」、「風力のことは何も知りません」と判で押したように怒りを込めて私の質問を遮ったものでした。

H.24年当初、私は低周波被害に苦しみながら、何も知らなかったので藁をもつかむ気持ちで、あちこちで聞きに回っていました。もちろん隣町の日高町や広川町へも聞きに行きました。日高町は祖母の里、広川町は母の里なので、わりと気軽に聞いてまわりました。

H.23年12月議会で、私は初めて風力被害を訴えました。議員として1年生の時です。この時、町長や職員は驚いて「誰がそんなことを言っているんだ?」と私に聞いてきたものでした。私は正直に答えていました。この時、町長たちはすべて織り込み済みのウソの対応を繰り返していました。

というのも、近くの下津町では、すでに2軒の農家の人が被害に苦しんで引っ越していました。広川町でも被害者が汐見先生に来てもらって、低周波測定をして原因を調査していました。(『左脳受容説』P.126) そして夜間の風車停止をしていました。

由良町ではH.20年に稼働した1.000kw、16基で被害者宅に二重サッシを取り付けるなど対策をしていたからでした。それでもなおH.23年には2.000kw、5基を山々の尾根に延長して建設しました。さらに延長して建設する計画もありました。

彼らは初めから何もかも知っていたのです。被害があると分かっていながら、被害者を無視して、強引に建設を続けていたのでした。結局、日高町との間に風車は建設されませんでした。

さすが原発を拒否した日高町だと思いました。でも真面目に風車建設に反対していた人は、よそから来た、例えば大阪から移住してきた人たちでした。「私たちは、ここに住もうと思って、土地を買って生活しているんです」と言っていました。

私が知っている古くからの住人は、何があったのかも知らない人が多かったように思いました。由良町でも、先に汐見先生が講演した阿戸地区の人は知らん顔でした。隣接する里地区の人たちが、南側の山々に風力はいらないと明確に反対しました。H.24年9月のことですが、役場職員や議員たちは憮然としたり、知らん顔していました。

私に対する敵意はすごいものでした。この時、悲惨な目に遭っているはずの畑地区の被害者たちは、里地区の人たちが何でこんなに怒っているのか分からないようでした。むしろ驚いていました。彼らは、自分たちが風車被害に苦しんでいて、よその人からどう見られているのかも分からないのです。

自宅の真上で大きな風車が回っている。風の強い日は「ゴオーッ」という唸りを発して耳をつんざくようになっていることぐらい、1㎞ほどしか離れていない目と鼻の先のことなど誰でも知っているのです。

つまり、このとき、H.24年9月には、畑地区の被害者たちはすっかり地域対策されていて、自分がどんな目に遭っているのかさえ分からないようにされていました。毎日、毎日、いろんな人、いろんな話で繰り返し弾圧されると感覚が麻痺するんでしょう。

「私たちは風力発電には反対ではありません」「私たちは風力発電の建設に協力していきます」このような言葉を私は被害者たちから何度となく聞かされました。同じ言葉は東伊豆町の人からも聞いたものでした。たぶん、強力な地域対策があったんです。自分たちで作ったとかいう「考える会」でさえ、被害者を封じ込めるトリックでした。

普通、自分が苦しめられているのに、こんな言葉は言わないですよね。でも風車被害を受けて、弾圧が繰り返されると、人は簡単に屈服して、人格が崩壊していきます。私は何人もの人から泣きながら叫ばれました。

「出ていけ!」とか、「もう何も言うな。聞きたくない」とか、「こんなになるとは思わなかった」とか、「何とかできるものなら、とうにしているわ」とか、たくさんの言葉を聞きました。そして重症の人から順次、亡くなっていきました。

私の選挙参謀だった被害者の谷口さんからも「次々と死んでいく。次は誰やろと。そんな話が話題になって堂々めぐりよ」と。そしてついには「低周波」という言葉さえ言ってはならないようになっていました。騒音というようになりました。話術の上手い手先(悪党)がいたのです。

とくに、私にはかかわるな、という強い情報操作、マインドコントロールがありました。野鳥の会などの環境運動家たちも風力の必要性と、被害の否定を何度も話に来ていました。私は、風力被害にかかわるようになってから、環境運動家という「得体の知れない人種」グループに出会いました。

原発反対や自然保護、グリーンピースや日弁連など、様々なグループがありました。伊豆半島に風車被害が問題になった時、加藤登紀子さんら芸能人が参加して運動が盛り上がったことがありました。その時の残ったメンバーを集めてメーリングリストなるグループが出来て、その延長らしいのです。

もちろん、まともな人はとうに逃げ出しています。後に残ったのは変な人ばかりです。オーム教みたいなものです。確かに伊豆半島の風車被害は当初、詳細な被害調査と研究内容を重ねていました。それがいつの間にか「私たちは風力発電には反対ではありません」という言葉に代わっていました。

風車被害を訴えていた人たちはアホらしくなって逃げだすしかなかったという顛末でした。汐見先生や窪田泰さんも追放されました。破壊工作があったんでしょう。完璧な風力の勝利でした。

今、東伊豆町役場に電話してみると、「風車被害はありません」と判で押した答えが返ってきます。H.29年には、新潟県村上市の洋上風力が中止になりました。村上市は、由良町に視察に来て、たくさんの報告書をインターネットに公開しています。ぜひ、見てみると面白いです。

私のブログにも紹介しています。こんな成果を誇りながら、結局、風力計画を放棄しています。ずっと以前、新潟水俣病の経験、記憶があったからだろうと思います。熊本の水俣市でも、風力計画を中止にしています。やはり公害に対して敏感に反応したんでしょう。

白浜町椿温泉でも風力計画は中止になっています。多くの人が風力反対のために動いたようでした。窪田泰さんも来てくれました。これとは逆に、近くの印南町では、建設地域に既にダムが建設されていて、誰も反対する人はいませんでした。由良町の資料を見せても無駄でした。

少し離れた地域の人の話では、若い人は特に「風車を建ててほしくない。なんだか気持ちが悪い」という話を聞いていました。結局、議会の全員賛成で熊野の山々に建設されました。風力発電を建設する地域、それを拒否する地域は、ほんの少しの情報と勇気ある人がいるかどうかでした。

初めは風車反対と言っていた人でも、ふと気が付くと「風力発電には反対ではありません」というようになっていました。裏切りは簡単でした。

重症の被害者でさえ、涙を流して、泣きながら、私に言葉にならない抗議をするようになっていました。あるいはバカにして、笑いながら拒否する人がいました。汐見先生もそうでした。私は、この人は神か、と思ったものでした。全国的に今、風力反対運動にまで進めていこうとしている地域がたくさん、あちこちにあります。

 

環境運動家の嘘八百や、地域の活性化などという行政、議員の汚い策略があります。地方の田舎は年寄りばかりでインターネットの情報を知りません。テレビや新聞の風力コマーシャルの方を信頼していることでしょう。仮にインターネットで検索したとして、やはり風力コマーシャルがあふれています。

風力被害の否定、自然エネルギーの賛歌ばかりが目立ちます。資金力があるということです。金の力に任せてということです。ヨーロッパやアメリカでも同じでした。それでも私のページを見つけて連絡してくれる人がいます。草莽崛起です。公害とは、少数の被害者を弾圧して苦しめる生き地獄です。そのような行為が楽しくてならないという当事者に多く出会いました。

「人というものが良く分かったよ。私は今まで何を見てきたんやろ」とある被害者は亡くなる前に何度も伝えてきました。それでも、やはり被害者になってみないと分からないのが風車公害、風車病です。結局、それぞれが自覚するしかない。人として、何が大切なのか。何のために生きているのか、という原点に返って、自分の価値観で判断するしかないでしょう。

たまたま自分が低周波被害に遭わなくても、他にいくらも被害に苦しんでいる人がいるのに、平気で笑いものにしている人を他人はどう思うでしょうか。素晴らしい町だと。そして、風車被害はありません、と言い続ける行政、役場とは何なのか。議員は何のために被害者を弾圧するのか。

実は、こんなことは周辺の町では誰でも知っていることでした。知っていながら私を罵倒して喜んでいるのだから始末が悪い。ドイツのように再エネ賦課金30%になるまで風車を建設するつもりか?

たまたま被害者になった人を弾圧、迫害する社会とは、なんと惨めな人々であることか。「いつまでも住み続けたい町作り」これが由良町のスローガンでした。

風力発電は、金儲けのダシにされるだけです。騙されているのに、それが分かっているのに、人としての尊厳を捨ててまで隷属する意味はどこにあるのか。毅然と反対しましょう。

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