深夜から部屋の空気がワンワンッと鳴っている。気持ちの悪い低周波音に覆われている。被害者独特な苦しみに、吐き出すような溜息を繰り返す。たまらんね。みなさん、こうやって死んでいったんやと思うと、ヘビの生殺し、と言っていた意味がよく分かる。もちろん最後は皆狂っていた。人が死ぬときは、悲惨な状況になるでしょ。病院や施設で死んでしまうのもな、用済み、叩き出されたみたいやないか。
風力との因果関係はない、と言う。いくら風車病の苦しみを訴えても、アホにされるし、弾圧の嵐に見舞われる。役場の強権はすごかったよ。警察もな。惨めな思いに沈んでいった被害者は多い。粛清の嵐を見た。社会とは、なんと怖ろしいものだと見続けている。それで誰も何も言えないのかい。全国でも、まったく誰も風力被害を言う人はいなくなっている。ペテンのエセ反対は多く見るけどな。
すぐに嘘吐きだと分かるから、アホらしくなってそれで終わりになる。汐見文隆・窪田泰の時代から、その繰り返しだ。海外の風力反対に比べると、日本だけ、何故や❓ と不思議でしょうがない。人間とは、たとえ弾圧したとしても真実が消えてなくなることはない。歴史は勝者だけのものじゃないし、敗れ去ったものにも、一定の物語が残されている。インディアンでも、アボリジニでもな。
まして経済大国を歌う日本において、こんな弾圧が歓喜と共に人々に定着するなんて面白すぎるやないか。どうしたんや、と私は問い続けている。由良町や、周辺の町では、すっかりタブーになっているけどな。私は一人変わり者、キチガイみたいに言う、と言われている。そりゃぁ、あれだけの弾圧と殺人があったら、これはアカン、と言うで。それが誰にも通じなくなっている。嫌なら出て行け、と言うことだ。
各地でも、叩き出されたり、死んだりと、大変な話題でしょ。ヒソヒソ話で笑いものかい。あたかも心配そうに活動している人が、被害を否定する御用学者を担いでいたり、お花畑の主催者だったりと、ゲンナリしたのは私だけかい。地域対策の汚いワナを見たでしょ。せいぜいが「土砂崩れが心配です」と言っていたよな。日本では、ついに「Stop wind turbines !」と言う人は現れなかった。
代わりに、アホよら。関係ない、と言うばかりよ。こんな日本人の風景に、諦め、黙り込む、消えていく人の多いことよ。滅びゆく町やで。私は、悪意を持った地域のそんな人を見続けてきた。すごいわ。よくそんなんで生きていけるな、と吐き気がする。被害に苦しむ者に対する強権意識、優越感があるんやね。君臨する、と言っても言い過ぎじゃない。それを煽る悪党もいるしな。デストピア、それが風力地域だ。
先日の衆院選では、各党の代表が口をそろえて「再エネを真剣に推進する」と言っていた。口パクで、受け売りの言葉を繰り返す。政治家は、まずアカン、と実感する。いや初めから国会議員たちに訴えてきたからさ、知っていたよ。インターネットのサイトにもそう書いてある。同じ文言だから、何かのテキストを書き写したんやね。行政も政治も、再エネ一色だよ。そこには被害者の言葉は一切ない。
まさに「問題の大きさを取り違えてはならない」式の、固定化された全体主義への転落を見ている。もはや、本当に日本人はダメになってしまったんだろうかね。とにかく私は由良町で百姓しながら孤立している。ボッチだよ。酷い低周波被害に苦しみながら、なんという運命か、と睨みを利かせている。風車の麓には、まだまだスゴイのがいるからね。たぶん全国の関係者が、ジッと見つめているんだろう。
社会実験よ。死んだ被害者はアホみたいやろ。それが面白いと云うんだから、異常な景色なんだよ。水俣病でもそうだった。s57年の新聞には、水銀被害のニュースが踊っていた。同時に北朝鮮の拉致事件があったけど、見事に隠蔽された。和歌山の拉致被害の看板の林立する煙樹ガ浜を覚えているかな。由良港にもたくさん、あったやないか。その恐怖や悲しみも、過去の出来事なんか。
役場の言うことなんか聞いてたら、エライことやで。殺されるって。結局は、そこに住む人が常識をもって立ち向かうしかない。それを社会操作、心理トリックで風力被害を否定して、こんな悲惨な弾圧物語になったのだ。じつに殺人事件なんやで。水俣病と同じことよ。いつしか責任は人々の無関心、あざ笑いになっていた。恐ろしい社会破壊やで。たぶん国際政治がある。
太平洋戦争の時みたいに、騙されっぱなしやな。みなさん、海外ニュースを検索して見よう。日本人が、いかにアホにされているか分かるで。政府が、官僚が、学者が、と言ったところで、タダの操り人形よ。日本人よ、世界の常識を知ろうぜい。






