もはや世界共通の課題だ。

風力発電に反対する。Protest wind farm と検索すると、世界中の風力反対運動がアップされている。個々の記事を自動翻訳で見ていくと、いかに風力発電が迷惑なものであるのかよく分かる。ところが日本ではどうだろう。

私がこのページで訴えて来たように、たくさんのトリックが、まるで昔の百科事典のように周到に準備されて実行されている。ウソばかりなんだが、一部に、例えばタービンを回せば電気が出来る、みたいな子供だましの論理が、スローガンがすべてを強制する。

全体主義、あの戦争の時と同じやり方だ。気が付いている人もいるだろうに、それを声にする人はいない。竹やりでアメリカ軍と戦うか? あの時、日本人はみな本気でそう思っていたのだ。原爆を落とされても分からない。一度洗脳されると回復することはないのだ。

それでも8/15日の一日で、人々は手の平を返したようにアメリカに媚びることになる。そんな現実を見て来たでしょ。今回も同じことが一瞬で起こりえると私は考えている。たとえ憲兵や警察が取り締まったとしても、国民の意識が変わってしまえばそんなものは屁でしかない。

風力発電のスパイ工作員たちも同じことだ。自分たちがいったい何をしてきたのかも、反省することなく時代の波に消えていく。その時、風力被害者に加えた悪事だけが嫌悪の記憶となる。水俣病と同じだ。誰もが目を背けるような悪事に平然と知らん顔する。

いや、由良町では人は笑って喜んでいたのだから救いようはない。人というものはここまで転落する。各地のエセ反対運動では、懲りることなく「土砂災害だ」「ドイツに習え」と繰り返す。Parrot パロット、オウムでしかない。なんであんな阿呆どもに人々は集まるんだろうか。

私は嫌悪の的だよ。当然か。しかし一般の国民は、ウクライナの余波で、いかに石油や石炭が重要であるか思い出しただろう。そして風力発電が役に立たないことも。迷惑、NIMBYでしかないことも。風力発電はNIMBYなのだ。

決して自然エネルギーでも再生エネでもなかった。妄想。幻想だったのだ。日本もいずれ世界基準に迎合する。田舎者よ、と笑われるだけだった。せっかく汐見文隆医師が情報を発信していたのに。このページは海外でも見られている。

日本の恥部をずいぶん見られたものよ。日本人には何が恥ずかしいのかさえ分からない。それでも日本車が日本のデザインになったように、未来志向の展開を私は信じている。風力発電を撤去しよう。破壊された社会を取り戻すのだ。今は、それしかない。