メガソーラーの被害について

風力発電の被害とともに、太陽パネルの被害もちらほら見えるようになっている。しかしそれも風力運動会と同じで、この人たちは何を言っているんだろうか、という疑問符付きなのは似たようなものか。三年前、北海道大学であった学会で喋った時に、私の前の人が太陽パネルの架台について説明していた。

施工業者の人らしく、細いパイプをトラスに組み、ストッパーも付けます、みたいな冗談のような(営業用だから当然か)お話であった。つまり、しっかりした構造の施工をいたします、と主張していたわけだ。私は火力発電の大型建造物の架台の構造計算などを経験していたので、何だこりゃ、とほほえましく聞いていたものよ。

しかしそれは冗談ではなかった。Twitter記事では、土砂崩れ、強度不足の架台、が反対の理由だとされている。もちろんそれもあるだろう。しかしそれは本質的な問題ではない。日本のそこらの野山を、樹木を剥ぎ取って、太陽パネルを敷き詰めるのだ。自然破壊というだけでなく、いったい何のために、という疑問でいっぱいになる。

私は農業をしているから、自分の土地で何を作ろうが私の勝手だと思っている。それと同じことで、野山の地主が、地主の権利を主張したら、それはそれで理屈は通るのか? なんかおかしいよな。近くに民家があれば電磁波被害、低周波被害があるとも聞く。 こんなものが自宅周辺にできたら、それは異様な光景だろう。

風車にしろ、太陽パネルにしろ、それは風景の破壊だ。しかもそれは金儲けになるというのだから、国の政策として、何の意味があるんだろうかと気が付かないといけない。私がよく引き合いにする、75年前の特攻、自爆攻撃と同じだ。意味がないとは言わない。けれどそんなこと必要だったのか。何か反省することはないのか、という破綻の歴史だ。

Twitterやインターネットには、風力や太陽光のコマーシャルが溢れている。あたかも被害があると言いながら、「土砂崩れ」という言葉にすり替える。土砂崩れや架台がなければそれでよいのか。コンクリートで固めるのか。違うだろう。こんなもので日常の電気は賄えない。お遊びなのだ。

私たちは再エネと言いながら、大変なエネルギーの浪費、自然破壊をしているわけさ。風力発電も、メガソーラーも、被害が明らかなのは明白だよ。騙されるのはもう止めようやないか。