宇奈月温泉の思い出。

黒部川には何度通ったことだろう。車で行ったり、電車で行ったりと、同僚と共に仕事ですから粗相のないようにと気を張り詰めていたものよ。宇奈月温泉に泊まった。レジャーで行くのと違って、昼間の疲れがどっと出る。朝になるとまた黒部の事務所に行って仕事をする。大阪の自分の机じゃないから落ち着かない。

でも昔はそうしてこんな大きなダムや発電所の建設をやったのだ。とくに切り立った岩石の山々の上に送電線の鉄塔を立てる。あまりの厳しさに、それだけで本に取りまとめて出版している。たくさんの若い電気屋が亡くなったと聞いている。上司の関本さんは、関電学園でそんな若者を鍛えたんだと言っていた。なんせ陸軍士官学校卒の元軍人さんだからね。軍隊教練したというのだ。

私は設計屋なので、巨大な構造物の安定計算に身の細る思いをした。計算上は大丈夫でも、地盤は地質屋が大丈夫だと報告したとしても、自然のことだから100%はない。ここは昔海底だったらしくてアンモナイトが見つかるという。あちこちに温泉の湯気が吹き上げている。よく言えばジェラシックパークよ。だからか、今朝の記事で観光のために開放するというのだ。危ないなぁ。

本当に危険ですよ。私も怖かったからね。私が乗ったトロッコ電車は作業用だから剥き出しのベンチに腰掛けただけ。トンネルの中では120℃とか言う熱泉が吹き付ける。熱くてびっくりしたよ。荒々しい開削跡を見ながら潜り抜ける。そうそう簡単な鉄橋も怖かった。転落したら間違いなく死ぬ。恐怖の連続でした。夏になると黒部には観光客が押し掛けるという。

実際、宇奈月の始発駅には50人くらいの子供たちが集まっているのを見た。学校の遠足なんだろう。たぶん地域の人にはおなじみの観光スポットなのだ。それでさ、同じ観光資源になると強調する風力発電のことが脳裏をよぎる。健康被害のことはすぐに全国に広がっていた。私のyoutube動画「morio yura」にあるように、トイレや炊事場、キャンプ施設を用意したとしても誰も寄り付かない。

廃墟になっている。なんか誤解をしているんだろうね。添付写真の遠景には海南市の風力発電群が見える。ここだって、誰が観光に見にくるかいな。アホちゃうか、と思うのだ。それでも環境運動家たちは風力発電を絶賛する。アホに付ける薬はない。考える会、とかさ。ここでも「土砂崩れが心配です」と繰り返す。指示されたセリフだとしても、この人は本当に人間なのかと哀れになる。

あの谷口さんも「何と哀れなことよ」と伝えてきた。人が、人でなくなるのだ。それほどに人間の思考能力を奪い、被害者を弾圧するためならウソでも脅迫でも何でもする。風力発電の被害の一面だ。被害地域では、すっかり出来上がっている。そこの住民は暗い洞窟に閉じ込められた囚人のように、指示された言葉だけしか許されない。「風力の被害なんて聞いたこともない」と。

おかしいでしょ。そして被害を訴える人を虐待して喜んでいる。かつてドイツで76年前だったか、ユダヤ人を見つけては殺していた。笑いながら射殺している風景は、NHKドキュメンタリーで何度も放映されている。あれと同じ心理やね。昔話じゃない。今も当然のようにやってるで。日本でもな。それに気が付かないだけよ。いや、それが面白いからこそ笑うんだから、本当は知っているのだ。

由良町で、「ワシらは面白うてならんのや」と被害者の死を笑う言葉を何度も聞いた。ナチスドイツとどこが違うのか。最近のインターネット記事には風力発電を批判する記事も出始めている。しかしまだ被害者には触れることができない。タブーなのだ。知っているのにね。知らんふりするんだから加害者と変わらない。なんせ地域の人はすっかり与えられた役割に酔っている。

遠くから、「すごいですね」と言うしかないのだ。私のようにその地域にいて被害に抗議しようものならたちまちにして殺される。環境運動家の主要な任務だ。カルトだ、という意味が分かるだろう。環境省の報告書に、これまで延々と書かれてきたように、「風車は観光資源になる」と謡う根拠は何か。それを議員たちは何でオウムのように繰り返すのか。

他所の人が、由良町の風力発電を見に来たら、地域の人は一斉に身構える。険しい形相をして立ち向かう。イヤハヤ、公害の被害地はどこでもそうだけど、社会はコテンパンに破壊されるわな。富山の観光政策は成功したんだろうか。ここは確か北陸電力だったよな。黒部は関電だ。なんかややこしい。岐阜の木曽川水系も関電だ。中部電力の地域なのにね。それぞれにやり取りがあるんだろう。