「被害の事ばかり言ってもダメだよ」、この言葉をどれだけ今まで聞いてきたことか。いろんな意見が必要だ、とも聞いてきた。ホンマかいな、とその度にがっかりする。人が苦しんでいる。癌などの病気だと言う。低周波被害で苦しくてならないから引越したという。自宅だけでなく、大切な家業の蜜柑畑がある。
周囲からの偏見、差別に遭う。嫌がらせの数々を聞かされた。精神的に追い詰められる。なんでこんな目に遭うんだろうかと。被害地域に投入された環境運動家や政治家は、あたかも心配する風を装って優しくマニュアル通りの言葉を繰り返した。オウムのように、どこでも同じセリフが繰り返される。
「今はその時ではない」、「このまま環境省が黙っているハズはない」、「更年期障害だよ」、「ドイツでは上手く行っている。なぜなんだろう、考えてみよう」、まだまだ、たくさんのテクニックが積み上げられている。そのウソだけで一つの分厚い報告書ができるだろう。多分その手のコンサルが用意したものがある。
何度か見たことがあるけれど、それはヒドイものだったよ。環境運動家たちは苦も無くその言葉を吐き散らしているから、きっと仕事なんだろうね。わざわざ被害者を探し当てて、虐待しに来ることもないだろうに。黙らせることがカネになるのだ。反原発の人でもさ、風力や太陽パネルに一生懸命だからね。
ただの環境ゴロだったのだ。環境利権か。どちらもカネになるからね。twitterを見ていて、先日の政党が、いかに低周波被害を否定しているか茶化していた。政党も、環境運動家も、無茶苦茶な論理が踊っていた。支離滅裂だったよ。陸がダメなら海にすればよい、とかさ。
結局、各地に蔓延る地域対策、環境運動会、エセ反対運動の中身はこんなものなのだ。初めから分かっていたけど、ここに来て、政治、選挙と共に、態度を明らかにしたと言うことだ。つまりな、低周波と健康被害は関係ない。風力や太陽パネルは推進する。ということだ。こんな政治はいらんわな。提灯持ちの環境運動なんかいらんわな。
私は由良町で、谷口さんら風力被害者が虐待されて死んでいく場面を見た。『風力発電の被害』に書いたとおりだ。伊豆や伊方でも同じ死に方をした被害者たちがいたと聞く。誰も抗議しなかったことも知っている。それどころか被害者が死んだとき、人々は笑いものにして喜んでいた。あれほど被害者が、役場や警察に助けを求めていたのに、行政には道義的な責任などどこにもなかった。
なぜな? 海外の風力反対デモを見ると、「Stop wind turbines」と言って抗議している。ところが日本では「土砂崩れが心配です」と繰り返す。真逆なのだ。人の命と、風車と、いったいどちらが大切なのか分かるだろう。それを日本では「問題の大きさを取り違えてはならない」という。違うだろう。なぜ誰もその狂気が分からない。
日本だけ、とんでもない心理コントロールが行われている。まるでお祭り騒ぎして、環境破壊だとか、鮎が心配だとか、子や孫に、と話を広げていく。風車病、低周波音被害、生活の破壊、人の死、病魔、被害者に対する弾圧、初めから分かっていて強行していた。
それを証明するのが毎年出されている環境省の報告書だ。低周波被害を否定するなよ。被害者を汚い言葉で弾圧するなよ。水俣や福島のように弾圧するなよ。世界の笑われ者やで。風力発電の低周波被害でたくさんの田舎者が苦しみ死んでいる。それを全国レベルで否定する政治なんかいらんで。
ナチスに投票するようなものよ。まだそれほど悪くない新人に、条件付きで書いてみよう。環境利権に汚れたエセ政治は拒否しよう。どうせ我々の税金だ。我々が判断するのだ。目先のカネだけで投票したらアカンで。今回は新人さんに期待しよう。



