歴史感覚

私は勉強ができなかったので、あまり教科書のことは覚えてはいない。歴史にしたって、国語にしても、そんなものかと思うだけで、別にそれで考え方が変えられたようには思えない。例えば私の書く文章は下手糞だ。

これでよくこんなホームページが続けられているものよ、と自分でも思っている。では国語を勉強したら文章が上手くなるのか? そんなことあるはずがない。川端康成とか、名文を真似したら上手になるのか。それもないわな。

じゃぁ、歴史教科書を読めば歴史に詳しくなるのか。それも怪しいものだよ。今日の産経記事にはアメリカの教科書が良いと言う。ウソだよ。「ドイツでは~」という話と同じだ。原発の投下が書いてない、という。これこそアメリカ人の偽善の正体ではないか。

悪の本質を無視して、何の教科書だよ。それを光と影だと言う。ミソも、クソも、一緒くたよな。汚い話だ。自虐史観。言葉の表現が悪い。繰り返される失敗の歴史。他に表現の仕方があるだろう。

点取り虫、じゃあるまいに、勉強ばかりしていたら逆に頭が悪くなる。その昔、成績優秀な同級生を思い浮かべれば分かるだろう。正邪の分別が分かればそれでよい。人としての生きる理由とかね。生煮え。お坊ちゃま、っていいね。