何か違和感を感じないか。

気候変動、ってさ、なんか面白い言葉だと思わないか。日本には、春、夏、秋、冬、と四季があり、毎日のように天気はコロコロと変わっている。人のことを「お天気屋さん」と言えば、気まぐれなことの表現だろう。この記事を見て、なんとカタカナ言葉が多いことに気が付いた。

私のような田舎者には、すぐに意味は読み取れない。それが分かったところで、大した意味もないのだが、それをダシにして政治が、行政が動くのだから大したトリックよな。小泉氏はお若いのに早くから将来の首相候補として人気が高い。福島など東北へ出向き、リンゴ農家でリンゴを齧ってみせる。拍手喝采よな。

あるいは除染計画で集められた表土を利用して、野菜作りに利用するという。私は、なんかおかしいではないかと思っている。再エネ、風力でも太陽パネルでも、各地で被害にあう人がいる。補償は何もない。被害者に対する弾圧は、何も私だけではなく、各地で泣きべそ書いて逃げ出した人を知っている。

それを地域の人は笑いものにして喜んでいる。あるいは嫌悪の塊になって罵っている。それほど被害者が憎かったのか。なんでやろ?と思うのだ。先日、野暮用で、御坊市から日高川沿いを上流に向かって走った。なんと巨大な風力発電が山々に林立している。狭い谷筋だから低周波の空気振動で気分が悪くなってきた。

h24年当初は、麓の人が音がうるさくてならないと嘆いていたという。すぐにその声は消されてしまう。それから一気に上流に向けて風車の建設が進んだようだ。由良町でもそうだったが、たくさんの低周波被害者が苦しんでいるだろう。なんで誰も抗議しないのか。海外なら、普通に地域の人たちが協力して抗議運動しているやないか。

日本には、それが一つもない。それが不思議なのだ。各地のエセ反対運動では「土砂崩れが心配です」と繰り返している。風車病の話はない。つまり地域対策がしっかりと行われているのだ。被害にあう確率は100人中、1人か2人。畑地区のように特殊な地形なら5~6人になるか。誰も助けることはない。

苛め倒して消すことが政治、行政の目的であった。納得してもらうんだとさ。その様子を『風力発電の被害』に書いた。増刷したからぜひ当時の有様を見てもらいたい。これは殺人事件なんだよ。あの戦争の時と同じ管理社会になっている。「あんな戦争で死ねるかよ」菊水紋の大叔父、祖母の弟はそう云い放った。

私の家族には誰もその言葉に応える人はいなかった。今も全く変わらずに、日本社会は病んでいく。由良町の風力発電を撤去してくれ。低周波で耳鳴りがして目眩がして、しんどくてならないのだ。