テレビの悪意を見破る。

昨夜、BSテレビで石川、杉山、加藤の三人の会話ドキュメントをやっていた。それぞれに各所で記事を書いているから見た人は多いだろう。結論は原発推進だ。三人ともかなり執着した原発狂で80%まで原発比率を高めるんだとか。とりあえずは50%を目標にすると合意していた。これって以前、再エネ比率を50%に大幅に引き上げる、というマニュフェストと同じフレーズよな。有り余る自然のエネルギーを利用して地域活性化を図るんだとか。

ウソつけ。山々の樹木を剥ぎ取って、太陽パネルや巨大な風力発電を建てて、どこが地域活性化だよ。政治家も企業もウソばっかりやないか。驚いたことに、この三人は福島原発の事故を知らないらしい。放射能汚染水の放流、溶けだした核燃料デブリ、凍土壁トリック、目も当てられない惨状に言葉がないのだった。先日の石川県の原発だって、ヒヤヒヤ感を見たんじゃないのか。逃げ場はない。日本に原発は無理なのだ。

管理能力のないことは、関係者を見たら分かるだろ。理屈じゃない。原発に関わると、皆さん、とても可笑しくなるようだ。もともとが可笑しいんだよ、という人もいるし、職業病みたいなもの、ともいう。周辺住民も含めてな。あんな所に住みたいか。その上で、再エネは電気代が高くつくと断言する。だから伸びないんだとか。アレッ、これも違う。言葉のすり替え、心理トリックだ。風力発電の被害は、各地で散々な弾圧が成果を上げている。

人々は大喜びよ。ヒステリックな風車教、カルトになった環境運動に誰も抵抗できずにいる。というより弾圧が楽しいのだ。被害者さえもな。その倒錯ぶりを由良町や周辺の風力被害地で見てきた。危険な低周波音を測定したら、それは国道を走る自動車の音でした、となる。風力の被害など聞いたこともない、というからね。地域住民の喜びようよ。私はすっかり村八分だよ。他の被害者たちもそのようにして殺されていった。

泣いて悔しがる奴もいた。それを見て笑うことよ。ここまで風力に狂うんやで。それよりも風力発電は機能していない。風が吹かないんだよ。各地の風力事業所に行くと、「ここは風況が良いですから」と言っている。どこでも同じ言葉を聞かされる。風もないのに、それを見ながらコイツはオウムかと思う。北国では雪が降るから、と言っていた。三人のレベルが分かるじゃないか。検証しないんだよ。

あれだけ新聞や雑誌に記事を書いて、テレビに出演して同じフレーズを振りまいている。原発のコマーシャル、原発ムラ、その世界の人じゃないか。テレビや新聞は被害者のためにあるのではない。メディアは企業の宣伝、政治の産物でしかない。それがこの番組を見ての結論だ。日頃の記事を見ているから、それの繰り返しであった。原発も風車もいらないんだよ。アホラシ御用学者の話を聞いていた。

先日から、畑地区の谷口愛子さん宅で実施された低周波音業務と、私たちが測定したグラフを比較して、その酷い弾圧の仕組みを書いて見せた。誰も反応しないね。行政は、「それは国道を走る車の音です」という。【それ見ろ!】と悪党たちは大喜びして罵声を上げる。私も散々やられたよ。人々は大喜びさ。この辺の集団意識、地域性は、まさに一体化していて、「正義漢はないんかい」と笑うしかなかったんだよ。

誰も味方になるものはない。被害者でさえな。私を憎み罵るだけよ。それがせめてもの救いになる。彼らは私が憎いのだ。それが由良町の特殊性だ、と思っている。他の地域、例えば秋田や山形の被害者はどうしているんだろうかね。まさか由良守生のセイでこうなった、などと言わないだろう。嫌われている事は、重々知っている。黙っていることもしんどいはずだ。とうにロボットにされているか、穴掘って埋められているんだろうか。恐ろしい実態を知らせるものはない。キジも鳴かねば撃たれまい。

SNS、twitterの反応もない。人々は風力発電の被害が分からないのだ。知っていたとしても、ほっとくしかない。君子、危うきに近寄らずだ。私もすっかり畑地区とは疎遠になっている。もう遠い過去の記憶でしかない。たまに嫌悪の表情を見せられるけどな。相手になったらアカン。そうアドバイスされている。彼らは喜んでいるのだ。「由良さん、アンタ本当に日本人か」と言われている。由良町周辺はとても貧しくてな、アメリカに移民した家族が多くいる。

それを思うと、もう少しインターナショナルであってもよさそうなもんだよ。アメリカのニュースを見る人もいるだろうにな。実際はインターネットもしないし、まして検索して何かを調べてみる人もいない。情報鎖国というより、自業自得、原始人のようなその日暮らしが多い。それでよく生きて行けるな、と思うのは私一人かい。千年前、京都から都落ちしてきた時も、先祖はこう思ったんだろう。「由良を出るもの、あるいは由良に帰る」と由緒書きにある。

出たり帰ったりを繰り返した。よくも今まで続いたと思っている。風力被害を通じて、自分のこと、社会の事がよく分かったよ。私はまだ生きている。死んだ被害者はご愁傷さま。オマエは運が悪かったんだよ。笑いもので終わったね。それが社会の掟にされていた。いつか酬いがあると思うけど。復讐劇はまだない。地球温暖化、脱炭素の幻想と、エネルギー政策は分けて縁を切った方が良いとも言っていた。世界ではそうなっている。日本だけだよ。