風力発電被害の真実

憲法改正、とか、低周波被害の否定とか、自民党の政治には悪意と嫌悪を見ないか。昔、憲法改正案が産経に載っていたけど、違和感しかなかった。統一教会のパンフの文面とまるで同じだと指摘されていた。私もそう思った。とてもじゃないが【憲法】と称する内容ではなかった。日本人はほとんど関心を持たなかったんじゃないか。自民の憲法観なんて、こんなものだったんだよ。

憲法学者がいるだろうに、なんだこりゃ、と感じたことだろう。ウソつきゴンボ、スローガンはいいとして、いかに政府が無責任で、中身がないかも明らかになる。当分、憲法改正はないだろう。私は日本国憲法は書き変えた方が良いと考える。アメリカ人が書いた日本最高の法文なんて、気持ち悪い。その点、今も聖徳太子の17条の憲法の方が格段に優れている。日本人の心に馴染む。

占領憲法とは、何たる違いよ。この差が分からなければ単なる書類でしかない。自民党はもう無理だ。政治的な人材を、インテリジェンスを再構築する必要がある。新しい人が必要だ。戦後、マッカーサーが君臨した時代、日本はとても幸せだったという。いつまでもマ元帥に日本を統治してもらいたいと日本人たちは望んだともいう。哀れな国民性よ。国語を英語にするとか、アメリカの属州にするとか、情けない議論もあったらしい。

どこで、踏みとどまったんだろうかね。自民や公明は、低周波音の被害を文面にして否定している。政府方針として、低周波被害を訴えるものは「精神疾患のもの」と規定する。そりゃ、いくら風力被害を訴えたところで効果はないわな。政治も行政も、風力被害の否定で凝り固まっている。ナニ、低周波被害はある。被害者の苦しみや健康被害は事実としてある。それを社会の受容義務、リスクだという。

あるのにない、という。こんなゴマカシ、トリックもないわ。風力の被害者に対する弾圧がすごい。h18年の東伊豆町の風力事件から、これは最初から際立っていた。当時、出始めていたインターネットのブログや投稿には、たくさんな被害情報が溢れていたものさ。重機や工場の低周波被害より、風力発電の方が広範囲に影響を及ぼすからね。24時間それが続くんだよ。しかも移動発生源だという。

コンクリートの基礎で固めた風車が、車や飛行機のように移動してなくなる音源だと規定する。基準も規則もない。鬼に金棒じゃないか。「低周波には法律はないんだ」と彼らは勝ち誇る。この倒錯、無神経な精神性は何だろうね。鬼やな。日本では、ついに反対運動も抗議集会もできなかった。これも不思議でしょうがない。日本人のダメさを、これでもかと見せられた。s57年、水俣病と、香芝高架橋の低周波公害訴訟(汐見文隆、小林芳正)があった。

たまたま私は新潟の長岡技大でのんびりと学生時代を謳歌していた。その時には分からなかった詳しい経緯を、今回はまるで同じ社会問題やな、と理解している。被害者差別。被害者自身の問題だとするのだ。こんな人権蹂躙、弾圧があってよいのか。人が、人に対して残酷な仕打ちを繰り返して喜んでいる。下見て暮らせ。支配論理に、それは違うで、と反感に動く。ところがな、公害とは差別地域独特な現象だという。

被害者や、その地域が反応しない。「被害があるからカネになるんやで」と言っている。私のように「風車を止めろ」という人はいない。それが由良町の姿だ。おかげで村八分。孤高、孤立、変わり者よと笑われる。いや、まだまだ悲惨な死に方をした被害者がいる。感情をむき出しにして泣き叫んでいた。可哀そうだったよ。それを人々は見て笑っていた。何がそんなに可笑しいのだろうか。

地域性、アホよら、関係ない、と嫌悪なのか憎しみなのか、吐き捨てる。役場も警察もすごかったで。被害はない。あれから10年以上経つ。風力の低周波で目まいがする。耳鳴りがする。とても苦しい。ヘンになった奴を見るけど、もはや声をかけることもない。人ではないのだ。私もそう思われている。由良町は暗闇に覆われている。風力発電の町はどこでもそうでしょ。低周波だけじゃない。

社会が壊れてしまっている。人間が作り変えられるんやね。家畜化、自己家畜化、動物になる。かつて、禽獣と異なる所以を学ぶべし、と言われていた。随分と退化したものだよ。その正反対が、海外の風力反対だ。人間の証明が、何とも羨ましい。被害を受けたら抗議する。当たり前な人々の感覚なのに眩しく輝く。日本人の、日本人による虐待、動物化と何たる違いよ。勘違いじゃない。こうまで頽廃、転落した人々の光景を見ている。