復讐者たち『The Avengers』を読んだ。

BSテレビで関口宏の「もう一度・」を見ていて、ドイツナチスの逃亡があったので読んでみた。日本の東京裁判と、エラク違っていたからだ。ニュールンベルク裁判はそれとして、実際は各国で20万人とか、30万人とか、いやもっと多くのドイツ人が処刑されていた。ユダヤ人も復讐を計画して実行したことを本にまとめたのがこれだ。

読んでいて楽しいものではない。しかし大量虐殺されたユダヤ人には復讐の必要があった。罪は償ってもらわなければならない。水俣病の時にも同じ言葉があった。日本では、何か事あるごとに「ドイツでは~」と言われている。実際、ドイツ人と話してみると、話が弾むし楽しく過ごすことができる。

東ヨーロッパやフランス人とは違った、気心の通じる、と言うんだろうか。ゲーテやヘルマンヘッセの国でもある。それが何でホロコーストなんか、と思うのだ。私にはユダヤ人と他のヨーロッパ人との区別は分からない。そりゃ、名前のスペルとか、ちょっとした生活習慣の違いとかあるんだろうが、それで殺人的な差別になるか。

同じようなことが日本でも今、風力発電の被害として各地で行われている。ドイツにも風力発電がたくさんあって、反対運動、抗議デモが各地で激しく展開されている。日本では情報を隠ぺいしているだけだ。日本人は復讐心を忘れたんだろうか。仇討ち、という言葉があるのに、まるでヒツジにされているのだ。

忠臣蔵でも、他の時代劇でも、どうも日本人の感覚から「仇を討つ」意欲が削がれてしまっていた。交通事故みたいなものになっていたのだ。ナチスはユダヤ人を殺すのを楽しみとして実行していた。笑いものにして殺していたのだ。それは風力被害者を笑いものにして殺してきた日本人の風景と重なる。

各地の自称反対運動では、「風力発電の被害とは土砂災害だ」と豪語している。あるいは、「聞こえない音は人には影響しない」として、周波数20Hz以下の超低周波音は評価しない、と断じている。A特性だ、H特性だ、とか言って、低周波空気振動の被害を否定する。参加する各地の環境運動家たちは、まるでナチスだ。

オーム教のようだと私は思っている。日本だけ、「風力発電を止めろ」(Stop wind turbines !)という言葉がない。彼らがいかにエセであるかの証拠だ。被害者の苦しむ様子を見て楽しくてならないのだ。彼らの言葉を総合すると、「風力発電の健康への影響はない。それは被害を訴える人の自分の病気の症状だ」という政策に尽きる。

こんな酷いやり方に、日本人の誰もが抵抗できないでいる。だから、私一人頑張っているのさ。被害を受けたら抗議しよう。誰も助けてはくれないんやで。復讐者たちは、かつての強制収容された囚人ではない。それらの人はズタズタに引き裂かれてしまっていた。「義により」同胞の復讐を行ったのだ。日本人には、なぜそれがないのか、それが残念でならない。