なぜ日本には、風力発電被害に抗議運動がないのか。

「Stop wind turbine」、「Kein windpark」、「protest wind farm」などと検索すると私の書いたページがたくさんアップされるようになっている。グーグルやヤフーといったプロバイダーの種類によって、表示される内容が違うから、情報管理が行われている。ひどいものになると、検索しても出てこないようにされていることもある。

アッ、このサイトは情報管理しているな、と分かる瞬間だ。写真地図なんか、どのサイトでも風車が消されているからね。ご苦労なことよ。これは全国的に消されているのに、誰も抗議する人はいない。大規模なメガソーラーでも、表示されないことがあるという。福島原発の写真地図でもそうだよな。見られてはマズイのだろう。

英語やドイツ語で検索すると世界中の風力反対運動を見ることができる。アフリカやハワイの原住民でさえ、風力発電反対というデモの記事がある。ところが、そこには日本の記事はないのだ。いや、私の記事を除いてだよ。どういうことかというと、日本の風力反対運動はすべて偽物だからだ。日本の風力被害は、h19年ごろから伊豆や伊方、愛知県、淡路島などから始まった。

汐見文隆医師の最後の著書『左脳受容説』はh19年のものだ。和歌山県広川町の被害の様子が報告され、続く由良町への心配を書き記している。その後のことは、私の『風力発電の被害』に書き記した通りだ。悲惨な低周波被害、風車病に苦しむ被害者が各地で声を上げたにもかかわらず、いや、だからこそ弾圧を加えて黙らせてきた日本の環境運動、風力事業のアホらしさがある。

アメリカではニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』が出版されてベストセラーになっている。風力発電の低周波被害に関する研究論文もたくさんある。なぜ、日本だけ、風力発電の被害に対する抗議運動がないんだろう。なぜ、被害者を精神疾患のものと決めつけて差別して笑いものにするのか、それが私には不思議で、見極めてやろうと思ったのだ。

10年前、風力被害に関わった時、岡山大学の津田敏秀教授の『医学者は公害事件で何をしてきたのか』を読んでみた。水俣病などの公害事件で、学者が積極的に被害を隠ぺいしたのだ、と書いてある。知っていたよ。それは学者からの見方だが、政治的な側面もあることは有名な話だ。なんせ水俣市長はチッソの工場長だったんだからさ。原田正純医師も『水俣病は終わらない』と書いている。

たまたま私のクラスメイトにこの地の人がいたので、彼のその話を覚えていたのだ。令和三年の今も大変らしいで。それを見て、由良町の風力発電被害も同じことになっていると、つくづくと思ったのだ。伊豆や伊方などの先進被害地も同じことだった。前記の津田敏秀さんから一冊の本を紹介された。英文で、分厚い論文集だ。日本の騒音制御学会の学者たちがたくさん投稿していた。

なんとそこには、あの水俣病の時と同じで、被害を否定するものやらゴマカシやらの、なんだこりゃ、という笑い話にもならない内容になっていた。こんな論文を有名大学の教授たちが世界に向けて発信していたのだ。同時に、世界の低周波被害の研究論文と並行しているから、そのアホらしさが、これでもか、と目立つのだ。日本の御用学者さんたちは恥ずかしいという言葉がないのだ。

水俣病で活躍した有名な弁護士は、「風力発電の被害には、ぜひ電磁波を取り上げなさい」とアドバイスしているという。h24年の日弁連環境チームが由良町にも視察に来て、「意見書」なんかを書いていたけれど、酷い話さ。風力裁判では、安政の大獄と同じでコテンパンにやられたものさ。警察も検察も弁護士、原告も大喜びだったよ。風車病で苦しむようになると、人生が破壊される。

Pathway to disease、病気になるのだ。被害者は100人に一人か二人で少数だけれど、その人を弾圧して殺して喜ぶ社会は普通ではない。公害事件の現場を見て、こんな町に住みたいと思うかい?それよりも、十分に情報がありながら、家族でさえ、いや、被害者本人でさえ、風力被害を訴えられない社会とは何なのか。みなさん、ロボットにされていることに気が付いてほしい。

単に騙されているんやで。特攻作戦と同じで、人の命がリスク、コマ、としか見られていないのだ。人としての思いやりや優しさのない社会なんて、ヘンだと思わないか。風力発電の被害は、土砂崩れなんかじゃない。風車病に苦しむ被害者を黙らせるためのトリックだ。こんな汚い連中が環境運動だと言って幅を利かせている。まともな精神を取り戻そうやないか。風力発電に反対しようぜぃ。