この記事はおかしい。

7/28日の産経の提灯記事です。私は土木科卒です。電気科ではない。たまたま上司が高浜原発の建設課長、関本秀夫さんで、電力土木の世界を教えてもらった。発電所を作るにも、変電所を建て増しするにも、電気さんとの打ち合わせは欠かせない。事業計画に合わせて協議は進行するから真剣な話にならざるを得ない。

それで多少の電気通になったと思っている。黒部川にたくさんある発電所の建設記録のとりまとめにも参加したからね。ところが電気科卒の人でも、一般企業で過ごした人は、いや、その人にもよるのだろうが、本当に電気科を卒業したんだろうかと笑えることが多々ある。

中には有名企業で出世した人もいるから、学校での勉強と、仕事で教え込まれた現実とは、これほどの乖離があるのだと驚くのだ。概して、学校での勉強は稚拙だ。たぶん担当教官もそうだったんだろうとさえ思うのだ。この記事を見てもらいたい。新しい言葉もあって、それが何を意味するのかは、読み手の判断に迫ってくる。

電気科卒の真面目な秀才は、DER、分散型エネルギー源、などと言って得々とするんだろうか。私なら、ウソつけ、と判断する。よくもこれだけのウソを積み上げるな、と書いた人の正体を見るのだ。だから学校で習う初歩的なお勉強の世界では、この記事は夢いっぱいの理想、あってほしいと願うようなメルヘンを感じるだろう。

しかし現実は、すべてダメだな、と見透かしてしまう。電力供給の強靭化? 太陽パネルや風力発電ほど、自然災害に弱いものはない。そんなことはこれまでのニュースで誰でも知っていることやないか。蓄電池なんか、各地域に置いたらどんなことになるのか、電力会社なら分かっているだろう。すべては税金だよ。キャンペーンに過ぎない。

ヘンな話だけれど、ドイツのナチス運動とか、日本の八紘一宇とか、今から思うと狂気だとしか思えないことと同じだと私は考えている。この記事をアップするのは両刃の剣やな、と最初は思った。最近の人々は物事を考えない。小難しく書かれたり、有名大学の教授が言うと、すぐにひれ伏してしまう。

それが何を意味しているのか理解することなく順応してしまうのだ。風力発電の被害地では、どこもすべてそうなっている。私は社会の崩壊だと感じている。それでも中には気まぐれにでも読んでみて、アレ、何かおかしいな、と気が付く人もいるだろうと思うのだ。

前ページに書いた三島由紀夫の遺言のように、後日、あちこちで引用する人がいるではないか。何が悪いのか。何が間違っているのか。その判断をご自分で持っている人もまだいると思うのだ。さぁ、この記事の虚構に取り組もうぜぃ。