再エネと原発、そして現実

今日の産経記事では、いかにも軽いタッチで描かれている。「エネルギー問題の現実を直視していない」と、軽い軽い。これが政治の駆け引きだ。原発が何であれ、再エネがどうであれ、政治家もメディアも「関係ない」というのか。「ここまで来い」ということか。私はtwitterを利用して、海外の様子も伝えながら、日本の再エネの、何が悪いのかを発信しています。

田舎の人はインターネットをしないので、ほとんど情報が伝わることはないだろう。Twitterという情報空間も、ガセの多いことよ。バーチャルとはよく言ったものだ。トランプ元大統領は、いまだにtwitterのアカウントを停止されているという。情報管理の厳しさよな。影響力があるとはそういうことらしい。その点、私は一人ぼっちで、サイト内の反応は添付の通りだ。

環境運動家たちにとっては笑いものでしかないだろう。いや、嫌悪の的か。相変わらず「お花畑」というありさまだ。私は繰り返し、海外の風力反対運動の様子を紹介している。「土砂崩れなんか誰も言ってないでしょ」というわけだ。それに対して、どのツイートも土砂崩れ、川の濁水を写真にして、これが再エネの被害だと大騒ぎだ。すっかり対立軸になっている。

「水俣学において、風力被害とは土砂災害だ」と絶叫した人がいましたなぁ。これが日本の現実よ。「protest wind farm」、「Stop wind turbine」、「Kein windpark」などと検索すると、たまに私のページが紹介されている。翻訳機能があるから、彼らも私のページを見ていることだろう。異様な日本の環境運動の有様に、彼らがどう思うのか聞いたことはあまりない。

これも不思議な駆け引きよな。ヨーロッパ人にせよ、アジア系にしろ、かなりズッコイな、と感じた瞬間だ。コロナウィルス禍でもそれを感じた。風力発電や太陽パネルで電気が賄えるか。こんな当たり前な疑問にさえ、誰も言葉がないんだから、こんな記事が堂々とまかり通るのだ。海外では被害者を救済するためにたくさんの人が抗議のデモ行進をしている。

日本では、被害者を弾圧して消し去って笑いものにしている。それらの人は表彰され、叙勲されて喜んでいる。公務員にならなくて、本当によかったよ。