怖いと感じたら逃げたらよい。

ジャーナリストたちと由良町の風力被害について話していて、映画で見たような話だね、とよく言われていた。既視感、デイジャブ、というものか。冗談やない。当事者の私にしてみたら、生死にかかわる被害を受けているし、実際に、谷口さんをはじめ、たくさんの被害者が同じパターンで死んでいったやないかと怒ったものよ。

『1984年』という映画では、結局は市民が、国の権力に反抗して抗議運動を起こすことになる。その結果は覚えていないが、最初に被害を被った人たちは無残に消されていく。惨めなものよ。現実は、小説より奇なり。これに尽きるね。環境運動家たちは、ドン・キホーテだの、オオカミ少年だの、私を随分とオチョクッテくれた。

被害者たちも手のひらを返したように裏切っていく。その言葉が厳しくて、胸に突き刺さったものよ。それほど私が憎いのか、と血の気が引いたこともあった。被害感覚のない人よりも、被害者の方がより恐ろしい言葉で私を罵ったのだ。かわいそうにな、と私は今も思っている。風力発電は人格を破壊する。

あの時、彼らにはもう人間性など残っていなかったのだ。ただ言われるままに、「被害などない」「風力はワシらのもんや」と叫んでいた。あれからもう10年ほど経っただろうか。具合の悪い人は早々に死んだし、我慢できる人は頑なに口を閉ざしている。たまに私の悪口を言っているらしいと噂に聞く。彼らの「考える会」とは何だったのか、彼らにはまるで分らないらしい。

だってロボットにされているんだから。全国では同じように風力発電の建設が続いている。あいも変わらず御用学者に御用運動家のお話で被害は分からなくされている。私は、このページで繰り返し風力被害を説明してきたつもりなのだが、誰も聞いてくれる人はいない。せっかく反対運動を始めましたと連絡してきても、すぐに御用学者の勉強会で「被害は心配いりません」と聞いてパチパチと拍手喝采よ。

何やエセだったんや、とアホらしくなる。それでもたぶん、各地の被害地域では、逃げ出している人もいるだろう。私の悪口もドツサリ聞かされて、関わりになるとロクなことはない、と分かっている人もいるに違いない。とくに低周波被害者は頭をやられるから自分との戦いよ。逃げたらよい。京都には36計、逃げるにしかず、という名文句がある。

低周波で苦しめられて、周囲の人たちから虐待されて、村八分にされて、苦しみながら死んでいく。それなら最初から逃げた方が得やで。伊豆や伊方、由良町が、映画のようになっていないのは見ての通りだ。見てはならないものを見ることになる。風力発電は怖いで。怖いと思ったら逃げることやで。