風力発電のウソに騙されるな。

由良港にも記事にある特攻基地があったらしい。終戦間際に、アメリカのグラマン機が編隊で来て、軍艦が二隻沈められた。祖母は田んぼにいたらしいのだが、グラマンが真上を飛んでいくのを見て、たいそう怖かったと何度も思い出話を聞かされた。この記事を読んでいて、どこかで聞いた話やなと思いを巡らせた。

「いったい誰のために死ぬのか」、「仕方ないと思うようになる」、風力発電の被害者の言葉だ。ここに書かれた言葉は、そのまま風力発電の被害に当てはまる。75年前の戦争と同じことなのだ。先日の風力裁判でも、私を訴えた人は、「風力発電の被害など聞いたこともない」と証言していた。検察は、私の個人的な思い込み、と断定した。

それでかいな、全国で、これだけの風力被害を見せながら、誰一人として風力発電の低周波被害を訴えることはない。各地にある「考える会」などは、しょせん被害者を黙らせるための隠ぺい組織であった。風力事業とセットになっていたのだ。海外では、添付写真のように、どこでも普通に抗議運動が起こっている。日本だけ、風力発電に対する抗議運動がない。

被害者は虱潰しに消されてきた。私一人なのさ。風力被害を受けて苦しいから止めてくれと言っているのは。日本の風力反対運動は質が悪いで。御用学者や御用運動家を招いては被害の否定を繰り返している。「病気持ちの人が、自分の病気で具合が悪いと言っているんだ。一般の人はとくに影響はない。心配いらない」と、こんな勉強会よ。誰も疑いを持たないから、それも情けない話だよ。

環境運動家たちは私をウソツキだという。作り話するな、オオカミ少年、という。私はすでに少年ではないんだけどね。これまで私が書いてきたことは、すべて作り話のウソだったのか。だとしたら私はとてつもないクリエーターやな、と逆に驚くのだ。h23年12月から、私は谷口さんたちに依頼されて、風力発電の低周波被害を訴えてきた。

しかし誰一人として、まじめに風力被害を訴える人はいなかった。そりゃ、被害者は泣き叫んでいたさ。でも汐見先生の時と同じで、みなさんが、私を憎み、拒否して、被害を否定する側に回っていた。まるでゾンビだったよ。被害者はロボットのようになって薄っぺらな人になる、というこれまでの被害そのままの再現であった。環境運動家やジャーナリストたちは、それが商売だからね。

私は、ただ振られた役回りを演じただけだったんだろうか。インターネットで「protest wind farm」(風力発電に抗議する)と検索してみたらよい。いかに世界で風力反対運動が起こっているか分かるだろう。ドイツ語でもフランス語でもおんなじさ。正解はすでにある。私は間違ってはいない。日本の有り様が間違っている。由良町の風力被害者は、どこにも逃げずに死んでいった。

苛め殺された人もいるだろう。何のため、誰のための死なのか?因果関係が分からない。証明されない被害など被害ではない。そう言って笑っている人は拭っても取れない烙印を押されている。人でなし、と。「考える会」というネーミングは、本当によく考えたね。考えないための考える会、か。自然エネルギー、クリーンエネルギー、言葉ってのは恐ろしい。

べつに勇気でも何でもない。生きていくために、自分の権利を主張して何が悪い。風力発電の被害に抗議しよう。弾圧する悪魔を拒否しよう。