産経の再エネ至上

今日、6/20日の産経記事です。電源構成のグラフがある。なんと石炭とガスで74%を占めている。これに原子力と石油を加えると、82.7%。さらに水力を加えると、91.7%になる。これがベースロード電源だ。8.1%の新エネ、再エネの中身が分からない。太陽光は夜は使えないし、風力も風任せよ。

欲しい時に必要な電気を送電する、という原則から再エネは当てにはならない。地熱くらいのものか。記事には原油価格が上がっても下がっても、再エネの普及に拍車がかかるとある。地球が温暖化しても寒冷化しても、再エネは必要だという記事を見たことがある。要は何でもよいのだ。

電源は多様化してバランスよく、とは言うものの、風力発電で石油や石炭の使用が削減されたなんて話は聞いたことがない。あってもなくてもいい。いや、多額の再エネ賦課金を集金して、何の役にも立っていないのなら、無駄な風力事業は意味がないではないか。理科の実験か。

初めから日本の風力発電なんかは一般の電気で回していて、デモンストレーション、見せかけやで、と言われてきた。実際に誤差の範囲なんでしょ。そんなものに各地の風力被害者は弾圧されて、苦しみながら死んでいったのだ。あるいは地域を追い出されていったのだ。

風力被害者は関係ないのか。何のための電気なんか。あてにもならない電気のために、被害者を否定する仕組みだけが機能して、再エネの本質になっている。だって、あってもなくてもいいんだからね。金儲けのネタなのは分かっているって。

野鳥の会や「考える会」、日弁連などは自然エネルギーのイデオロギーに狂っているように見えて、しっかりとエコ利権があるんだろう。海外のエコ運動をそのままコピーしているから環境ゴロなんやろ。日本だけが「風力発電を止めろ」という運動がない。

これが日本の環境運動の偏向した姿なのだ。彼らは今も「ドイツでは上手くいっている」と繰り返している。もう誰も信じていないのに哀れなものよ。由良町では、谷口さんらのようにして、たくさんの風力被害者が死んでいった。未必の故意ではない。確信犯なのだ。