風力被害は伊豆から始まった。

伊豆漁協が風力発電に反対するという。風力被害は、伊豆や伊方に始まり、全国に拡散された。h19年に伊豆では何が起こったのか。汐見先生や同行した窪田泰さんはボロクソに追放された。「ウソつきばかりだよ」と何度聞かされてきたことか。今も自称被害者を名乗る人たちは「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っている。

由良町も同じようなものだけれど、実におかしな社会になっている。誰か才能のあるジャーナリストが取材して、ドキュメントドラマにしてくれないか。伊豆では、被害者たちの症状を取りまとめた被害調査報告書は、今でも一級の資料として各地に伝えられている。ところがあの後から、「伊豆に風力被害をいう人はもういません」と環境運動家たちは断言するようになる。

とうに被害者は引っ越ししていたのだ。誰も連絡も取れないという。文字通り消されていた。由良町では皆死んでしまったけど。歴史は繰り返すという。同じ地域、同じ人々、同じ風力事業だよ。結果は見えている。とても貧しい地域だから、簡単に奴隷になって黙るんだろう。あの時のメーリングリストとかいう環境運動家のグループも、獲物めがけて嘘八百を繰り返すことやろう。

吐き気がする連中だったよ。石狩でもそうだが、環境保護団体は行政の手先であって、エセ運動だからね。エコ利権があるんやろう。海外の反対運動、抗議運動と比べてみると明らかでしょ。カネのため、仕事のため、ウソツキばかりの反対運動?になるだろう。東伊豆町、南伊豆町に聞いてみればよい。「風力被害はありますか」、「いいえありません」判で押した答えが返ってくる。

もう答えはあるんだよ。あとはカネだけか。さて問題は御坊市の風力発電よ。「ワシらもう漁師は止めたんや」、風力発電のことを話しに行くと、漁師たちは嫌味な顔を作って私をにらみ返す。風力の「ふ」の字も言えないようになっている。目の前に200mもの高さの鉄塔が林立して、24時間、風車がブンブンと回ることになるのに、誰も何も言わない。

図に示すように由良港にも建てられる。わが家のミカン畑からも見えるやろう。由良町では、「被害はない」「関係ない」と叫ばれ続けている。面白い社会現象やなと私は当事者として驚いている。社会って怖いね。h24年当初、運動家たちが視察に来た時、地域はエライ興奮状態やなと語ったものだが、8年を経た今も、さらに人々の呪いは強化されている。

「由良さんだけやで」と言って親切に怒りに来る人もいるのだよ。まず伊豆から風力を建設してもらって、あの時と同じように、その様子を全国に知らせてくれるんやろうか。「被害はありません」と行政も地域の人も言っている。記事にあるように漁業に被害があるなら補償で済む話だ。被害者は勝手に逃げ出すだろう。私は、最初から風力被害の不思議さに疑問の山を積み重ねてきた。

インターネットで「風力発電被害」と検索しても、私一人になっている。誰も風力発電を止めてくれ、なんて抗議していないのだ。引っ越した人も、苦しみながら死んだ人も、誰も抗議しないのだ。被害者でさえ、汐見先生を罵倒し、私をクソミソに言う。さも心配そうに話す環境運動家、御用学者は、誰も風力発電の低周波被害に触れるものはない。これって呪いだよな。

海外では普通に、被害者や地域の人々が協力して、Stop windturbines ! と言っている。日本では私一人がそう言って怒っている。どちらが正解なのかは明らかだ。低周波被害者の会の窪田泰さんは「なぜ由良さん一人が低周波被害を訴えているのか」と不思議がっている。彼のもとに集まっている多くの会員たちも、被害を訴えることはない。

私には、何のために彼らが集まって群れているのかそれが不思議に思えるのだ。日本で、誰も真面目に風力被害を訴える者はいない。伊豆の風力被害否定の歴史の前では、この記事はどれだけ意味を持つものやら、いっそのこと伊豆の山々はソーラーパネルにして、海は風車で囲んでしまえばインパクトのある地域活性化、町の発展につながると思えないか。

以前参加した学者たちの集会でも同じ話題に盛り上がっていた。原発何基分にもなるんだとか。幼稚園児のような学者さんだった。半分冗談だが、伊豆の社会風土が見たいものだ。