風力発電は精神を破壊する。

前ページでは4か所の風力被害地を紹介しました。やはり由良町の風力被害の様子が一番でしょう。
狭い谷あいの町を見下ろすように21基の風力発電が立ち並びます。風力発電由来の卓越した低周波が向かいの山々に当たって反射する。有害な低周波空気振動が、狭い谷あいに充満するのです。奥西一夫先生は、「低周波のへばりつき現象」として解説されました。『風力発電の被害』P.80

地域の住民に逃げ場所はないのです。被害者はなぜ、風力被害を訴えて抗議しないのか?
これは全国の風力被害地で起こっている不思議です。アメリカやヨーロッパでは、普通に「風力発電を止めろ」と言ってデモ行進しています。私は由良町で起こった風力事件を当初から当事者として見ていますので、その理由がよく分かります。
やはり役場、行政による被害者対策でした。

由良町の風力被害は、h.20年11月稼働1000kw16基で2重サッシをつけて口封じを行っています。
私が谷口さんから悲鳴のような電話をもらったのは、h.23年9月稼働2000kw5基でした。(電話は11月末)
h.23年12月議会で私は初めて風力被害を取り上げます。この時から本格的な被害者対策が行われました。

当初、被害者を訪ねると、泣いて訴える人がいました。既に役場には何人かの被害者が訴えていて、「あなただけだよ、そんなこと言うのは」と拒否されていました。
私はその時、何度も彼らに頼まれて役場に電話していますから、役場の対応の酷さを今でも覚えています。「電話してくるな」「どこか悪ければ病院へ行け」と。

伊豆や伊方、近くでは下津町大窪地区や広川町で被害者がいて、汐見先生らが調査していました。
行政の被害者対策は弾圧でした。これに野鳥の会、考える会、日弁連などの環境運動家が加わり、個々に被害者を否定しました。更年期障害、アセスをきちんとしましょう、というバカげた誤魔化しを繰り返していました。

汐見先生や窪田さんは、どこの被害地からも拒否されて追放されていました。
私もh.24年には同じように被害地域から拒否されていました。なにが被害者の心を変えてしまったのか、私は戸惑うばかりでした。
最初は、彼らは風力被害を訴えて、泣いて助けてくださいと、私にも言ったものでした。

それがしばらくすると、「出ていけっ!」と怒りを見せて私を拒否するようになっていました。
それは以前、h.19年に汐見先生が由良町阿戸地区へ風力被害の講演に来られた時にも同じ現象がありました。
由良町と南隣の日高町との間に風力計画(一回目)があった時の出来事でした。

「もう風力だろうが何だろうがワシらは関係ない」と阿戸地区の人々はそう言って私を拒否したのです。もちろん汐見先生のことも拒絶していました。
由良町役場が汐見先生対策として、講演会、勉強会に参加した人たちをチェックして「なんらかの強制、嫌がらせ」があったことは聞いていました。
後日、h.24年9月にあった由良町と日高町との間の風力計画は中止となりました。二度目の風力計画でした。

私はこの時、議員でしたので役場、議会の対応の酷さを目の当たりにしました。なんで被害の分かっている風力発電を推進するのか理解できませんでした。
ある議員は「理屈の分からん被害など被害ではない」と言って風車被害を否定しました。

この時、畑地区の被害者たちが5人ほど役場の説明会場に来ていました。畑地区の被害者たちは、なんで阿戸地区の人や里地区の人たちが怒っているのか分からない、とそれぞれ話していました。
自分たちが悲惨な被害に遭っていること、生活を破壊されて、被害者が次々と亡くなっていく時期でした。
畑地区の被害者たち、一般の被害を感じない人たちの私に対する拒絶は過激ですごいものでした。
私の家族は昔から、農業をしながら由良港の海運業などにかかわり、わりと事業をしてきました。田舎のことですから誰でも私や親父、祖父のことを知っているのです。我が家はみな小心で内気な性格でした。内弁慶でした。
ですから人が私を嫌悪して、攻撃するなどとは思いもよらないことでした。

由良町畑地区で聞いた言葉として、
「由良さんは嘘をついている」
「金をもらってやっている」
「選挙のためにやっている」
などと散々な言葉をどっさりと聞かされました。田舎の人々ですから普段使う言葉数は少ないのですが、この豊富なバリエーションは何だと驚いたものです。受け売りの言葉でした。私を批判する言葉を注入されていました。

さらに「私たちは風力発電には反対ではありません。私たちは話し合いをしている。被害のことはまた別の話だ」と言って、被害を訴えていないことを強調していました。
この心変わりは、全国の風力被害者に共通していました。私はあちこちの風力被害者に連絡しましたが、同じ言葉を聞かされました。私を名誉棄損で訴えてやる、と怒られたことも何度となくありました。

もう風力のことなど反対していないのだ、と。
「私たちは風力発電には反対ではありません」という言葉をどれだけの被害者たちから聞かされたことか。「私」ではなく、「私たち」と言うようになっていました。これもキーワードですね。
おかしいと思いませんか?

いくら強制されたからといって、洗脳されたからといって、強烈な風力発電の低周波に苦しめられて風車病になったのです。風車病は治りません。汐見先生は、被害環境から6ケ月ほど離れると、症状はなくなると言っていましたが、そうではないようです。
被害環境から離れて、旅行などでホテルに泊まると、ぐっすり眠れて気持ちのよい朝を迎える、とは谷口さんがあちこちで証言している通りです。とくに石狩に行ったときにそう思ったらしい。

私はよほど嫌われていたんでしょう。風力被害の仕組みやニュースをコピーして地域の人に配ろうとしても、誰も受け取ってはくれませんでした。これは私の住む門前地区でも同じでした。畑地区の北側、谷口さんの実家のある三尾川地区ではもっとひどかった。
被害者も、一般の地域住民も、私が近寄ると、顔色を変えて逃げるようになっていました。

私は風力被害者ですから、風力被害の苦しさをこれでもかというほど分かります。とくに畑地区では強烈な低周波により、さまざまな怪奇現象が起って、不安に身をおののかせたことでしょう。H.24年当初、被害の凄さを彼らと語り合ったものでした。
それが何で、すべての被害者が手のひらを反して、被害を否定して、被害を訴える私を拒否するのか。嫌悪するのか。

その答えは2/7日のページにアップしている被害者たちの声でした。彼らは被害に苦しみながら徹底的に打ちのめされていたのです。
そして「私たちはもういいですから」と諦めの言葉を言わされていたのです。

ここまで被害者たちを屈服させるまでには、どれだけの弾圧と手間暇をかけたことでしょう。
それでも谷口さんは死ぬ前日まで「由良さん、これ、何なんや?」と電話で言ってきました。他の方からも、議会での抗議は続けてほしいと頼まれていました。風力に狂いながらも、狂わせられながらも、何とかして助けてほしい、という願いだけはあったようです。
彼らは最後まで自宅を捨てませんでした。じっと我慢していたのです。

「畑地区の人と一緒に」とかいう言葉に縛られていました。年とったら介護で金もかかるし、世話にならなあかん、とも。
その前に彼らは亡くなってしまった。家にいられないので表に止めた軽トラで朝まで過ごすなどして、エコノミー症候群みたいなものだった。低周波被害は頭をやられるので、余計につらい最後だったと思う。病気の人は、すぐに病状が悪化した。
一方、h.24年に由良町に来た運動家は一巡して、「すっかり出来上がっているな。テンション高いな」と感想を漏らした。ジャーナリストは「社会の崩壊、地域社会の引き裂きがある」と私に話しました。
私のことだったのだ。

そりゃぁ私と二人で話したから、私に対して言ったんだろうが、先日の選挙でそれが究極、どういうことなのか、まざまざと見せられたものだった。
被害者たちはすっかりヒステリックになって話にもならなかったし、地域の人たちも風力被害を訴える私を嫌悪そのものとして見ていた。そして私を拒否した。
なぜ彼らは風力被害という現実を目の当たりにして、風力発電ではなく、私を憎むことになったのか。
普通に考えてもおかしいではないか。

由良町では金が欲しいから風力を建てた、誘致した、と聞いている。
しかし目の前で風力発電の低周波で苦しむ人がいて、苦しみながら抗議して死んだ人が何人もいる。議会では笑いものにしていた。
そして被害地域でも、人々は「関係ない」といって知らん顔?タブーにしている。

被害者は、地域の仲間として、隣人として生活したいと願ったのだろうか。その代償が「風力発電には反対ではありません」という言葉なのか。しかし、命より大切なものはない。現に2/7日の証言でも、彼らは苦しみながら死んでいった人の個人名を上げて、風力被害の惨状を訴えているではないか。
私は何度もその言葉を現地で聞いてきた。『風力発電の被害』にも書いた。
被害者対策の当事者たちは、もちろん被害者がいるから何度も会合をもって弾圧しているわけだし、死人が出ていることも知ったうえで黙らせているのです。もちろん役場、行政の指示でやっていることです。

被害者はとうに狂っているし、加害者たちも狂っている。これが全国の風力被害地で行われている。引っ越して逃げ出してくれた方が楽なのだ。
地域住民も一緒になってイデオロギーに振り回されて、テンションの高い状態に置かれている。

単に風力の低周波を受けて、ヒステリックになっているのではなく、人々の中に何かが、風力被害を言ってはならないという恐怖、義務意識を持つようになっている。
7年間も被害地域と関わってきた実感なので間違いはない。選挙の総スカンは、私自身の保身のために必要な神の思し召しと思っている。それほどの悪意が渦巻いていた。

役場がスローガンにしている地域活性化、町の発展とは程遠い世界だと思わないか。
人が苦しみを訴えながら何人も亡くなっている。それを笑いものにして喜ぶ議員とは、行政とは、何なのか。
社会正義を言うまでもなく狂っているではないか。

風力発電の低周波空気振動の被害には規制はない。何人死のうが、被害があろうが、罪を問われることはない。罪刑法定主義。罰する法律がないのだ。
しかし、「法律がないからよい」「金が入るからよい」で済む話ではない。
彼らに判断基準はあるんだろうか。
「世のため人のためにあるのか」考えてもらいたい。
間違いなく議会は、行政は殺人を犯したのだ。