小林先生からメールをいただきました。3/7日

私は、由良町で引き起こされた風力被害の中で、悪党は悪党でしかないと見ています。被害者となった人も、加害者となって悪事を繰り返した人も、条件さえそろえば、今の由良町のような事態になることを見てきました。『風力発電の被害』に書いて訴えた通りです。

小林先生のご意見には人に対する善意があって、私のような被害者の怒りがない分、一般には分かりやすい話かもしれません。とくに「考えない」というポピュリズムに対して、「考える会」という地域対策の名称、スローガンには皮肉というより、人間支配の悪意が込められていたと考えます。

以下、小林先生からです。

ちゃんと答えられるだけの考えはまとまっていませんが、部分的に感じていることはあります。前に伊豆の風力反対関連の書き物を見たとき、この人たちは主に別荘所有者なのではないか?だったら、その土地に固執する必要はなく、家を売って、他所に買い替えればいい。

その場合、これは最近?または今読んでいる外国情報?で、風力音の害が嫌で家を売って転出しい人は、そこがそういうケチのついた土地だとはあまり知られたくないという1節があったような気がします。売るならできるだけ高く売りたい。

ケチが付いていたら資産価値が下がるから、あまり風力の害を宣伝して欲しくない…ということです。はじめ反対してたのに、途中から言わなくなった人には、そんな人たちが含まれているのじゃないか?

それからもっと大きい問題は、先日送った京都新聞の佐和隆光さんの「天眼」の考えです。この頃、世界中で人々がものを考えなくなっている。ポピュリズムの流行です。僕の知る範囲でも、国立大学の教官で「新聞など読まない。ネットで十分で、その方が早く広い情報に接しられる」というような人がいます。

その故か、僕の気に入らないプロジェクトが、本格的な批判にさらされることなく、どんどん進められている。一例は「リニア中央新幹線」です。あの技術は、技術論的には落第品です(推進方法も電気の供給も、故障時の対策も!)。だからやるべきでないと僕は思っているし、悪くすると途中までやっても結局出来上がらないのじゃないかとさえ思っています。

もちろん反対訴訟も起こっているけれど、それらはみんな「リニア新幹線」そのものの批判ではなく、トンネルを掘ってたら発生する「ずり」を持ってこられると困るとか、トンネル掘削で地下水が枯れるではないかとか、切実かつ具体的ではあるけれど、もっと本質的な問題、あれは落第技術だということには触れていません。

最近の大抵の事業は、「ことの是非ではなく、どれが儲かるか」で進められています。その実例が今の原発だし、いずれ風力も太陽発電もそのことが分かるでしょう。再生可能エネルギー技術も、総論賛成でも、具体的に近所に来るとなるとたいてい反対運動が起こっています。

やりたい連中は、それがいいものだからやりたいのではなく(原発の場合、当初は本気でいいものだと信じていた節があるけれど)、それをやると儲かるからやりたいだけなのです。いろいろ言ってる理屈は、自分を正当化するために言っているだけで、本音はもうかるから…。だから、彼らの賛成・反対は当てになりません。

でもその連中を悪党だと言えるでしょうか?もちろんいい人たちではないけれど、あんまりものを考えない弱い社会人の一人じゃないのですか?とことん議論すれば、そしてその善悪が分かれば、それを強行するのはためらうんじゃないですか?まとまりませんが、僕の感想です。

小林

私の質問メール

窪田泰さんと話していて、日本だけが、風力発電の被害者の反対運動がないな、と不思議な現象を議論しました。アメリカやヨーロッパでは、たくさんの風力反対運動があります。h.20年頃、汐見先生たちが伊豆半島の風力被害を調査していた時、突然、反対運動は崩壊して消滅したそうです。

広川町でもあったように被害者たちは汐見先生を拒否したそうです。被害地域の人たちも同じことになっています。私が由良町で、総スカンを食ったのと同じです。そして不思議なことに、日本では新たな建設計画には反対だとか言っている人たちも、環境運動家たちも、被害者を加えて、風力公害反対とは決して言わないのです。御用運動家です。

しかも各地の風力被害者たちは、私に向かって「名誉棄損で訴えてやる」と息巻いています。低周波被害者たちの狂い様は異常です。そこまで狂うか、と驚きます。汐見先生や窪田さんも同じ目に遭ってきました。何か理由がありそうです。それで人権派の運動家、思想家というか、社会運動に通じた人はいないのかお聞きしたいのです。

ジャーナリストや運動家たちが由良町に来て話したように、地域社会の引き裂き、社会の崩壊がひどすぎます。私も息苦しいこと。ですが死んでいった被害者たちは、それこそ決死の常態で苦しんでいました。こんな酷い公害もありません。社会的な圧力を加えて、「納得してもらう」などと言っているのですから、人倫の道も道徳もありません。虐殺です。

私は人の嫌な面ばかりを見てしまいました。もう元の社会生活には戻れないでしょう。ですが、やるだけのことはやって、訴えるべきは発言していきたいと考えています。人は、しょせん人としか生きられないですからね。悪党にはなれないこともよく分かった。誰か助けてくれる人を探しているのです。