風力発電の低周波で苦しんでいる。助けてほしい。

11月から季節風が吹き始め、空気が乾燥すると風力発電の低周波が「シンシンッー」と頭の中で響いて苦しくてならない。音を止めるスイッチはない。だから被害者たちは引っ越して逃げ出すか、重症の人は死んでいったのだ。それを弾圧する人たちがいる。被害者の中にも、より重い苦しみに苦しんでいる人を叩いて喜ぶアホがいる。

由良町には、まだまだ風力の低周波に苦しんでいる人はいるはずなのだ。私以外に誰も被害を訴える人はいない。低周波被害を訴えるとどうなるか? すさまじい弾圧を受けて虐待されるからよ。何重にも取り囲まれて、ウソやダマシが繰り返される。私は議会だけでなく、区長や副区長などから散々な弾圧を受けてきた。

「戦時中とおんなじやな」 親父の友達はそう言って嫌な顔をした。そして私を弾圧する連中は、元々がそういう素質のある人たちで、周囲の人たちは日ごろからそんなことは百も承知なんだ、と。風力発電を、なぜ建設しなければならないのか?風力の低周波被害を訴えたら、なんで弾圧して虐められるのか? 役場の連中も凄いで。

役場や議員たちに、なんで余計に苦しめられるのか? 「あんただけやで!」と言われるのか。それは戦時中と同じ心理が働いているからよ。人が死んでいるのに、誰もそれが悪いことだと気が付かない。むしろ「おめでとうございます」なんて言っていた。なにが名誉なことか。「人」というのは、これほど簡単に善悪の区別をなくすものなのか。

こんな平和な時代なのに、社会の仕組み、善意はなんと脆く、儚い幻であったことか。先月の12月、由良町議会では、「風力発電の低周波被害を訴える人は一人もいない」と畑中町長や玉置議員は議場で豪語した。山名議長は私の一般質問を途中で「発言を禁止する」と命じた。すごいじゃないか。これを見た地域の人たち、全国の環境運動家たちは何も感じない。誰も不思議な光景だと思わないのだ。

人が苦しんでいる。苦しみながら死んだ人がいる。被害者たちは役場に抗議していた。しかし町長や議員たちは、そんな事実はないという。すごいじゃないか。今日、民放のテレビで風力発電のコマーシャルが流れていた。風力発電の不採算を訴えている環境運動家がいるが、儲かっているから多額の費用を掛けて有名俳優を使ってコマーシャルを流している。

風力業者には低周波被害などないのだ。水俣病とおんなじよ。先日、九大の生体解剖事件を記載したが、この地域に人権感覚はないらしい。今も水俣病の裁判は続いている。金目当ての裁判だという批判ばかりが聞こえてくる。日吉フミコ議員は13年も被害を訴え続けた。彼女の議事録を読むと、私がこれから言わなければならないことが、これでもか、というほど書かれている。

たくさんの被害者がいて、たくさんの死者を出しながらの抗議よ。死屍累々というんやね。全国にも風力発電の被害者はいるやろう。みんなで抗議しようやないか。