一級の気性

梅田のジュンク堂で立ち読みしていて、つい買ってしまいました。読み応えのある本でした。三日ほど熱中して読みました。ミカン畑の消毒や摘果、田んぼの見回りもあるのに。

アメリカの黒人解放運動やハンナアーレントの「悪の凡庸さ」についても、かなり踏み込んだ記述がありました。私が取り組んでいる風力発電の低周波被害の解決のために手掛かりになると感じました。

精神疾患について、「正常であるとは何なのか?」という普段気が付かない歴史的事実が展開されていました。

リンカーンがひどい心の病で「私ほど惨めなものはない」と日記に書きながら、苦しみながら、不屈の人生を歩んだことはあちこちの本を読んで知っていました。ヒトラーは躁うつ病で薬中毒だったことも有名な話です。

ケネディやチャーチル、ブッシュやクリントンに至るまで、心の病に苦しんだ有名人、あるいは正常人としてパロディと化したエピソードが克明に書き記されています。何が成功に導いたのか、そして何が失敗の原因であったのかと。

とくに驚いたのは、普段の日常生活では、普通(正常)であることは素晴らしいことであるが、異常な試練に対しては、普通でない(異常な)指導者が必要とされると解説している。

チャーチルとチェンバレン、ケネディとニクソンと。決定的な違いは、精神的に健康であったこと、そして彼は精神的に健康ではなかったこと、と診断していることでした。

そしてハンナアーレントの批判を展開している。平凡な人たち、正常な人たちは、有能な煽動者によって簡単に操作されてしまう。彼らの最大の弱点は、彼らの同調性にある。ナチ政権の幹部たちは精神的に健康であった。

知能も高かった。自分の誤りを認めることがほとんどなかった。ナチの凶悪な犯罪が正常者によってなされたことが不幸を大きくした。

では風力発電の低周波被害で、被害者たちが苦しみを訴えているのに笑いものにして楽しんでいる町長や議員たちはどう理解できるのか。畑地区の被害者の谷口さんが亡くなった時には、たくさんの議員たちが手を叩いて笑って喜んだのです。

たぶん職員や環境運動家たちも喜んだことでしょう。地域の人たちも同調しました。彼らの喜ぶ原因は何なのか? それは同調性にある、とこの本は示唆しています。

風力発電は有望な再エネとして原発問題や環境問題の解決に必要とされている(違うけどね)。多額の補助金が下される。法的に被害者は精神疾患のものだと毎年の報告書で公開されて排除すべきことが決められている。

残虐な殺人事件が連続する中で、ごく少数の弱者となったヒステリックな被害者が苦しんで死ぬことは面白い。調査されることはない。水俣病でさえ被害調査はされていない。安全で甘美な犯罪だ。

保健所も県も環境省も厚生省も低周波被害を否定している。日弁連も風力を推進している(これは腹立つな)。

一番残念なのは、私がこの本に出てくる有名人のように狂気を持っていないことでした。偉い人は大変なんだ、と感心はしても、男一匹血の涙、敵からも味方からも矢が飛んでくる。道義的な情熱、情熱に駆られての行動だった。

わりと普通のおばちゃんが言った言葉に、「一回か二回、言ったらもうええんと違う」、私は「苦しみながら死んだ人たちがいる。

奴らに頼まれたんや」、そしたら、「死んだ人はもういないんやから、言う必要もないやろ」、私は「実は私が風力発電の低周波で苦しみながら生活をしている。死にそうなんや」と答える。そしたら「まだ生きてるやんか」とおばちゃんは笑う。

愛媛では、「そんなことより風力発電でお金が回されて地域が潤うことの方が大事なんや」ということでした。6月議会では、風力発電は役に立たない誤差の範囲でしかないことを証明しました。

お金が回ってくる、と言っても、そもそもそれは自分たちのお金です。詐欺とペテンでしかないのです。それを実行している行政と政治を入れ替えるしかない。エライことになっている。