環境運動家の闇

風力発電が本格的に日本に建設され始めた頃、環境省では、着々と低周波被害を否定する、おぞましい報告書が毎年のように作成されました。
伊豆や伊方といった先進被害地では、汐見文隆医師が駆けつけて被害の実態を調査しました。たくさんの生々しい著書を出版しています。

風力発電機はヨーロッパ製のものでした。同時に環境運動家の仕組みもセットになっていました。
私のトップページにあるドイツのARD放送に出てくる緑の党など、環境団体です。

日本の環境運動家は、判で押したように、同じ言葉を繰り返します。「ドイツでは・」というセリフです。
ですから、本当の意味では、彼らは環境運動家でも何でもない。ただの宣伝要員、風力団体の使い走りで、軍属みたいなものでした。

下記の資料は窪田泰氏からの提供です。風力関係の方はご存知の方がおられるはずです。
8年前の、初期の頃の環境運動家さんたちです。伊豆や伊方では、被害者は次々と亡くなり、あるいは自宅を捨てて逃げ出しました。

「あとに残ったのはウソつきばかりよ」と氏は証言しています。汐見先生や窪田氏は各地で迫害されました。
それこそ石もて追われました。私は由良町でもその言葉を聞かされたものでした。

私のページでは、2017.11/9日付けに、中西輝政氏の記事を紹介しています。インテリジェンスの不毛です。
資料の面々にはスパイ、工作員となって被害者潰し、汐見先生の追放を画策した人がいます。元々それが目的でした。

行政に繋がり、権力の末端にあることが嬉しかったんでしょう。小林先生は、趣味的な人と表現していますが、低周波被害者にとっては生死にかかわる大事です。
趣味で殺されてはたまらない。

今も各地の被害地域では似非環境運動家たちが活躍しています。マジメナ人が多く、社会的にも信用のある人が威力を発揮しています。
藁をも掴みたい被害者たち、お人好しの田舎者は、簡単に騙されていきました。

たぶんタクトを振る人がいて、風力発電建設地域の人々の心理を熟知して、マニュアルに基づいて管理しています。
どこでも同じ言葉が使われているからです。

由良守應は二百叩きの刑を受けて、和歌山から追放されました。よくもまぁ、拾い上げてくれる人がいたものよ。しかし祖母たちには絶大な人気があった。
西郷隆盛も、随分な迫害を受けながら人気は上々でした。

陰に籠った日本の環境運動家たち。悪さもいい加減にしてほしい。骨のある人、こんな連中など気にせずに、新しい日本に向けて志を持って私に協力してほしい。