風力発電の被害は、「不作為」も予定の内です。


ある科学者と話していて、京都新聞の記事で、風力発電の被害も似たような構造かも、と教えられました。

私が学生の頃、35年ほど前、ちょうど熊本の八代高専から来ていた人がいて、関係者だったんでしょう。
とても口ごもりながら、「言ってはならないんだ」、「非常に悪いことなんだ」と、しきりに訴えていたことを思い出します。

「不作為」ですか。そうですけれど、もっと悪い意思を持った人が集中していたように感じています。
「償ってもらわなければならない」、と被害者たちは言います。でもそんな事は言い訳です。せいぜい関係者の方を鵺のごとく報道する程度です。

風力発電の場合は、もっと進化していました。環境省の報告書を見ると、早くから準備を始めていたことが分かります。「不作為」など当たり前の予定でした。
由良町の答弁を聞いていると、いかに悪逆非道な計画に従って進められているか分かります。歴史的に見ても、人は、社会は、簡単に凶悪な犯罪行為に走ることが証明されています。

今も、IS だ、トルコ軍だ、といって説明する必要はないでしょう。彼らは、「残忍な行動」、とは思っていません。彼らは、言われた通りに素直に実行しています。
話を戻して、水俣病関連の先生方は、罪を問われなかった。由良町長も、堂々と、「ワシらは業務でやっている。罪にはならない」と豪語しています。こんな人たちが勲章をもらって、栄誉に輝くのです。

ほとんどの人は何も分かりません。
これが今回の被害の本質であると考えています。たぶん、ごく少数の人たちが練りに練ったクリーンエネルギー展開事業です。こんな杜撰な軽はずみな悪行に日本全体が踏みにじられることになりました。

日本社会は、あまりに脆いものでした。当たり前の、あると思っていた道徳が、いつの間にかなくなっていました。地方議会だけでなく、地域社会も手玉に取られたものです。
「リスク」を享受しなければなりません」、と町長は答弁しました。被害地域の人々はひれ伏しました。

私は弾圧されて議会からも地域からも迫害されました。被害者の人権は無視されました。全国で展開されています。