害悪は一般化されていく。

「風力発電被害」と検索すると、私のページは出てこなくされている。検索結果には、各地の自称反対運動や、風力業界のコマーシャルが並んでいる。いつもの「土砂崩れが心配です」的なステレオタイプ化したものばかりだ。環境省の低周波被害を否定するものは最初から用意されていて、環境運動家のバイブルとなっている。

これに御用学者が輪を掛けて自称・被害者を断罪する。精神疾患、耳の障害者、低周波は出ていない、などなど、この人に正義はないんかい、と悲しくなるのだ。これが有名大学の教授だという。各地の勉強会がyoutube動画にあるから見た人は多いだろう。これと、私のアップしている動画集との落差よ。

谷口さんのお話もあるから、いかに彼らが悪党であるのか分かりそうなもんじゃないか。それでもさ、twitterなどでは、どこまで行っても「土砂崩れが心配です」と繰り返している。お花畑、と言われている。タダのお遊びだと思っていたけれど、立派な被害者弾圧の工作員の役割になっている。悪の花園だよ。

単に道路工事をしてください、だけじゃなく、風力の被害は土砂災害だ、と断定して巧みに強制するのだ。世論の形成というのか、誰も本当の被害を言葉にできないでいる。低周波被害、風車病はタブーにされている。これが目的なんやね。もっと言えば社会の破壊、何でもできる社会の形成になる。奴隷社会なんだよ。

被害者は、どんな公害でもそうだけれど、重症化してしまうと戦う意思も体力も残ってはいない。水俣病でも、イタイイタイ病でも、石綿被害でもな。それらの公害のいきさつを見て、日本に「人間の尊厳」はないんかい、と思わないか。コラボでやりませんか、と考える人もいるだろう。公害の本質とは何か。

風力発電の低周波被害を見れば、日本でこれまで行われてきた被害否定の残虐性が明らかになる。こうまでして日本人は被害に苦しむ者を否定して罵り、喜んでいたのだよ。2018.1/22日、1/20日、のページに谷口さんの録音がある。聞いてみて。何が悪いのかよく分かるで。その上で、その死をあざ笑ったのだよ。

さすがに「これはイカンやろ」と私は判断した。それからがまた、えらい目に遭うわけだが、人々の対応は、敵意、憎しみは変わることはなかった。風力じゃない。私に対してだよ。日本だけじゃなく、風力被害に遭ったら被害者は転居して逃げている。これが正解みたいだ。しかし私のように逃げられないものがいる。

無言、無抵抗を決め込むアホがいる。大体が私を憎んでいる。憎む相手を間違えているだろう。そのように方向づけられているんだろうが、もはや人間じゃないね。個人の「命」が、これほど弄ばれる、捨てられる公害も珍しい。全国レベルだから、既に多くの被害者が殺されている。被害調査をしないんやね。水俣と同じやり方よ。

苦情があれば裁判をしろ、ということにされている。そして、「低周波の法律はないんだよ」と裁判所で叩かれて終わりになる仕掛けだよ。それまでにはたくさんな弾圧の風景を見ることになる。警察の嫌がらせと迫害はきつかったね。原発でも同じことだろう。安政の大獄、蛮社の獄、まるで江戸時代の封建社会じゃないか。

吉田松陰や杉田玄白のようにして殺されるんやで。この平和な日本社会にあって、健康被害が分かっていながら被害者を弾圧して消し去ってしまう。その人を笑いものにして人々が喜んでいる。ディストピア。地獄へようこそ、と思わないか。それが環境運動家の姿なんやで。いくら言っても聞いてくれないけどな。

それよりも環境運動会に参加して、いつもの学者や活動家の話に酔いしれる方が楽しいのだった。気候変動、脱炭素、地産地消、煌びやかな言葉が舞い踊る。日本独特な環境運動会よな。そこに低周波音被害に苦しむ被害者の存在はない。うざいんだよ。風力ファシズムでは、全体の理想?だけが抽象論になって渦を巻く。

何のこと言っているのか誰にも分からない。カルト宗教のマントラよ。オウムなんだよ。日本がこれ一色に染め上げられている。「知らない」で済む話ではなくなっていた。全国で風力発電の建設が進められている。結局、誰も反対できなかったんやね。私一人か。やるだけのことはやった。ニセモノはもうたくさんさ。

風力発電の低周波で苦しくてならない。なんで日本だけ、そう思わないか。