「平井宏治、風力発電」と検索して見た。

私のホームページが消されている。毎日書いているから、そのどれかが有ってもいいのに、と思うのだが、すべてキレイに消されている。試しに「由良守生」と検索して見るがいい。こんなことできるのは高度なテクニックと費用を持つ国策企業だけだよ。情報操作。情報統制だ。

Googleの写真地図では、全国のすべての風力発電が消されている。誰も不自然だと思わないんやね。ご都合の悪い風車は見られたくないんだよ。それと同じ事が、私のホームページの抹消だ。聞いた話だが、twitterでも私の記事が見られなくされているという。

アクセスできないのだ。そう言えば最近、風力発電に関する記事が一斉に消えている。風力反対とか、被害症状の訴えとか、まったく無いからね。日本だけなんやで。こんな隠ぺい工作はよ。もともと各地の自称・風力反対は偽物で、地域対策のトリックでしかなかったんだが、その実態が明らかにされた形になっている。

沈黙は金。たくさんの風力被害者が苦しんでいるだろうに、口封じが行われている。と言っても、風力被害は頭をやられるから、被害者でさえ、いや、だからこそ、「私たちは風力発電には反対ではありません」と繰り返すことになっている。h18年の東伊豆町から繰り返される被害隠ぺいの恐怖物語だよ。

風車病になったら、その人の心理はまるでロボットになっている。それを操縦する人がいるのだ。人々はその惨劇が面白くてならないのだ。これが海外の風力被害地なら、「地獄」と言うのだけれど、日本では笑顔で「私たちには風力発電が必要です」となる。わずかなハシタ金で、人々はこうも変わってしまうのだよ。

由良町でも同じ風景だけどな。前ページにも平井宏治の記事を載せた。ホロワー数が多くて、さぞや影響力があるのかと思ったけれど、そうでもないな、と考え直している。いつも添付している海外の風力反対運動と比較するとそれがよく分かる。乖離しているのだ。取って付けたみたい。木に竹を接ぐ、そんな感じになる。

被害に苦しむ人に対する思いやりがない。かみ合わないのだ。各地の風力被害では、どこでも悲惨な弾圧が行われている。伊豆や伊方の風力被害は有名だから多くの人が直接見ただろう。しかし誰もそのことには触れない。人間性の否定。この平和な日本社会にあって、こんな非道な集団虐殺が行われていようとは。

被害者も、それを取り巻く人々の転落も、こんな形でしか対応できなかったのかと反省することはないのか。平井宏治の弁には、実にこの急所が欠けている。何が悪いのか、という人間観に穴が開いている。以前、汐見文隆医師、窪田泰氏による低周波被害者の会があった。

この二人がいなくなると、すぐに破壊されてしまっていた。東伊豆町の低周波被害の顛末と同じ有様だ。いつか見た風景だと思ったよ。「ウソつきばかりだね」と話した。もちろん、各地にある風力発電の被害者は「我関せず」となっている。聞けども聞こえず。人間破壊されてしまっている。私は近づけない。

由良町でも、私は他の風力被害者から拒否されているからね。もっと言えば、憎しみの的にされている。もはや人間とは思えないのだ。同じことが全国の風力被害者にも当てはまる。これまでどれだけの風力被害者が、「オマエを訴えてやる」と言ってきたことか。誰かが心理操作しているとしか思えないではないか。

そのような洗脳をマニュアル化して行っているのが、行政や担当の環境運動家だと見ている。簡単な言葉で、コロリと操り人形になるのだ。精神疾患のものになるのだ。問題は、それらの地域対策を多くの人が直接に見て知っていることだ。誰も正義感はないのかい。海外ではあれほど盛大に、激しく抗議しているだろう。

アフリカや南米の土人でさえ、魂の問題として怒りの言葉を露わにしている。じつに人間性に関わる被害なのだ。日本の社会が、風力被害者を弾圧して排除する。誰もが「関係ない」と吐き捨てる。その社会は実質終っているわな。社会の目的がない。社会の崩壊を見ないか。

風力発電の被害地では、とてもじゃないが、大切な社会基準が失われている。人間牧場じゃないんだよ。家畜化された地域の人たちの有様に、「ヘン」と感じない感覚の有様よ。ヘラヘラと笑うだけ。国際社会で、カモにされて、アホにされるやろ。私は違うからね。やっと自分が何者であるか分かったよ。

被害者の中には、風力被害を通じて、これまで見えなかった社会の現実を知ったことだろう。それがまぁ、一つの得た賜物かな。風力発電は詐欺でしかない。こんな作り話に踊って喜ぶ人々は、聖書に書かれている邪教と変わらない。人間の本質は、二千年経ってもちっとも変わらないのだった。