「カネ」だけじゃない。

フランス人と話していて、過去にも烈しい口論になって、部屋を飛び出していった奴がいたな、と思い出している。ドイツ人なら和気あいあいと盛り上がる話が、なんでフランスではダメなんだろうと思うのだ。フランス人と言っても、称が多くて、北アフリカや東欧の人が堂々と「私はフランス人です」と言っている。

なかにはパスポートをいくつも持っていて、それぞれの国で違った名前で生活ができるらしい。器用というのか、日本語もこなれていて、移民文化やな、と理解する。華僑、中国人にもこんなタイプがあるよな。香港人も器用だからね。今、話しているのは南フランス出身で、パリで学生生活を楽しんでいるという。

両親は公務員で教職なんだそうな。彼と話していて、独特なフランス原理主義に笑ってしまう。まだ若いからね。純粋培養の様子に、日本の学生と比べてしまう。やはり自由度は高そうだ。いつも思うことだが、我が家にくる海外の若者はしっかりとした見解を持っている(ように見える)。

あまり強く言ったら怒られるからね。私は大学でドイツ語を取った。フランス語はほとんど分からない。気分的なものもな。それで、いつものようにビクビクもので一緒に春の草刈り作業をして汗をかいているのだ。農作業を一緒にやると、意識を共有する。人類普遍の法則よ。

取りこぼした蜜柑を採って食べる。ただそれだけの事なんだが、具体的な農家の生活を目の当たりにして笑っている。ここまではよい。世間話が議論となり、お互いの価値観の違いに気が付く。彼は貴族社会を認めない。イギリスには貴族がいるでしょ、と言っても分からない。

日本には天皇がいるんだよ、と言ってやる。ここで「カネ」の価値観になる。お金をたくさん稼いでいる人が社会の上位にいる証明なんだそうな。「違うよ」と少し小声で零して口ごもる。彼はビジネスコースの学生なのだった。まぁ、それはともかくとして頑張ってくれたまえ、と結論する。彼らは王族を処刑してきたのだ。

多大な犠牲を払って今の民主主義を勝ち取ってきた。日本人の大甘な自称・民主主義とはずいぶんと違う。それは彼らの原理主義を聞いていてよく分かったよ。やはり話してみないことには、こんな簡単なことでも普段気が付かない。グローバルだ。国際化だ、と言っても、詰まる所、意識の差に驚くしかないのだった。

日本人は、大体が誤解している。騙されている、と言った方が分かりやすいだろう。今朝の産経記事には軍事費が300兆円になるという。1年間の金額だよ。石油や石炭、天然ガスの高騰と言い、大したビジネスじゃないか。それをさ、フランス軍で戦争に行くのは外人部隊だよ。と言ってのける。

日本ではありえない話だ。これらの記事を掘り下げてみると、日本人には到底知ることのない裏面、闇の世界がある。ウクライナ、クリミアなんか歴史的な舞台でしょ。彼らにはよく知られた現実よな。日本人が分からないだけなのだ。同じことだけど、風力発電の被害に、彼らとの差を見ないか。

ドイツ人とはまた違った烈しい嫌悪がある。「NON」、「NEIN」、ダメだというのだ。どちらも日本の言葉より絶対的な厳しさを感じる。日本人にこの絶対感はないわな。上から言われると、途端にヘナヘナっとなるからさ。風力被害者でも、「私たちは風力発電には反対ではありません」と言ってきた。

こんなバカらしいトリックもないんだが、それがまかり通るところが日本社会の不思議さ、日本精神だと見る。日本の公害論は格別だよ。アホにされる代名詞だ。「土砂崩れが心配だ」なんてセリフはよ、笑い話にしかならんのやで。いかに日本の環境運動が的を外れた「本当の被害否定」のトリック、サギになっているのか分かっているかい。

大学の教授が「土砂災害だ」と絶叫する。参加者はみな喜んでパチパチパチと盛大に拍手する。恥ずかしくないんやね。そんな連中から私は憎まれてきた。一緒にされなかったんやね。名誉の勲章だよ。由良守應は150年前、ヨーロッパやアメリカを回って慎重に視察して活躍した。

彼らの本当の価値を理解していたと思う。天皇の牛車を煌びやかな馬車仕立てにして演出した。これだけでも明治維新なのだ。あやかりたいものよ。