歴史ものの変化

最近のテレビでは、「新しい歴史」とかいって、少しずつ見方が代わってきている。豊富な資料と、研究成果、分析結果なのだという。歴史ものの番組が多くなりましたな。徳川家康関連になると、もういいや、とパスしたりね。その反面、水戸黄門や遠山の金さんが無くなっている。勧善懲悪を絵に描いたようなドラマがないね。

日本人の意識変化だろうけど、少し淋しい。というのも、これらのドラマに出てくる悪党、ゴロツキの有様を、私はこれでもかと、現実の生活で見てきたのだよ。「由良さん、これなんやろ?」そう言って私に何度も電話してきた人がいる。谷口愛子さんと言ったか。すべての人が裏切っていたな。私もやられっぱなしだったけど。

どこかで見た風景、それが「遠山の金さん」に出てくるおシラスのごろつきどもだった。そんなものにやられてしまう。笑いものにされて終わってしまった。「これなんやろ?」と思うわな。しかし人々はそれが面白いという。それが風力発電の被害だ。うまく演出したつもりが、どうにもいけない。やるだけのことはやった。と思っている。

あちこちのテレビ番組では、坂本龍馬の評価が揺らいでいる。実際は、「こうだった」というものだ。歴史には事実のことがたくさんあるからね。由良守應のことを書いておく。我家の真下に住んでいた分家のオッサンだ。 添付記事にあるけど、守應は明治5年に、アメリカから羊を輸入して飼育を始めている。この本には書いてないね。

彼の自宅周辺には陸軍省の施設がたくさんあったから、その必要性があったんだろう。桶町の千葉道場の人たちと楽しくやっていたらしい。弟の由良渓五郎は長州藩士となっていたけど、この頃まで生きていたようだ。兄の守應が和歌山藩士だからヘンな話よ。それを今朝の産経記事では「常識否定の幕末」と書く。

もっとたくさんな非常識があったんだろうと思う。明治時代の住宅地図を見ると、明治維新のご褒美に西郷隆盛や木戸孝允の自宅が載っている。その面積に不思議感はないかい。なんで? という歴史の不思議よ。鳥羽伏見の戦いで、守應は紀州大納言茂承(もちつぐ)の供をして参内している。

歴史的には西郷隆盛が戦って勝ったということになっている。出来レースだったんだよ。その評価がこれだと見る。幕末、守應は牢屋に放り込まれたり、追放処分になっている。それがいつの間に、明治政府でこんなにも活躍していたのかと驚くのだ。守應は密偵として働いていたという。

明治になってから、柳生藩では、家老7名が斬首刑になっている。今でもその時の話が伝えられている。朗々として声高く、詩吟を謡いながら刑場へと引かれていったという。同じ隠密でもこの落差よ。私は大柳生で、それ以上の話は聞けなかった。添付の屋敷には陸奥宗光が居候したと聞く。

彼が政界を引退してから、守應も東京を引き払って、由良に隠棲した。私が子供の頃、昭和30年代にはまだ守應を直接見て知っている人が生きていた。手の届く歴史なのだ。守應は全く何も残していない。岩倉具視らの日記に、たまに面白い男だと書かれている程度なのだ。あくまで裏方、世話役であったんだろうか。

政治には無関心だったようだ。私の曽祖父もな。政治には出るなと言い置きされている。私はその禁を破った。その意味がよく分かったよ。しょせんは作り話の出鱈目な世界よ。自分が何者なのかよく分かった。添付の罪状は、私の風力裁判とよく似ている。我家では、「女の人のお尻を触ったから」と言われている。

なんせ芸者遊びが趣味だったらしいからね。たぶん有名な幕末の志士たちと遊び惚けたことだろう。伊藤博文の護衛をしていたとも聞いている。私の祖父も剣術がうまかった。テニスボールを操るように、私の木剣を杖でからめとっていた。昔はそんなことが自慢だったんだろう。

渋沢栄一のNHKドラマを見ていて思ったんだが、あの中で、栄一だけが出世していく。同じように、守應も多くの人と剣術を楽しみながら、一人だけ駆け抜けていった。