風力発電に隠されている悪意

これまで風力発電の何が悪いのかを具体的に書いてきた。国の政策として「再エネの更なる推進」が政策目標になっているのだ。被害者はますます追い詰められて逃げ場はない。東北や北海道の風力銀座では、けた違いの被害者が苦しんでいることだろう。それでも、これまでのように、風車病の言葉はどこにもない。

東伊豆町や南伊豆町の被害者が発した苦しみの症状なんか、もはや跡形もない。蒸発してしまっていたのだ。現に彼らは風力発電には反対ではありません、とか、風力の被害などない、と言っている。全国の被害地で同じフレーズが繰り返されている。低周波被害を否定する御用学者の高笑いよ。

「一般の人には影響ありません」と断言するのだ。それらの地域には既に風力被害者がいて苦しんでいるだろうにな。自己家畜化。自己欺瞞。由良町でもそうだけれど、人々はすっかり良心をなくして案山子になっていた。私なんかは風力裁判でやられて村八分だよ。人々の嫌悪の的になっている。

かつて汐見先生や窪田泰がそうだったけど、私の方が強烈にやられている。ふと気づくと、インターネットでは風力発電の低周波被害の記事が消えている。いや、被害を否定する環境省のページはたくさん品を変えてアップされているんだが、肝心の被害者が発する記事が何もないのだ。以前はたくさんあったのに。

海外の風力発電反対の記事を検索してみな。英語だけじゃなく、ドイツ語フランス語、スペイン語にポルトガル語、いろんな言葉で検索すると、それぞれの地域でいろんな人々が風力発電の被害を訴えている。日本のように土砂崩れじゃないで。日本では海に風車を建てるときは「海底の砂が心配だ」と言っている。

低周波被害の言葉はどこにもない。心理コントロールをしてるつもりなのだ。日本人のアホさよ。今はさ、携帯iphoneがあるから誰でも簡単に「検索」ができる。大体が天気予報だけみたいだね。時計代わりとか。意識が低いのだ。破局に向かう危機意識、理性がない。ヒツジでしかなかったんや。

これまでの風力被害者を見てそう思う。誰も被害者を助けようなんて人はいなかった。笑いものにして喜ぶだけのことか。Twitterを見てもバーチャルな記事ばかりになっている。無責任。時間が奪われる。希薄な情報の世界だよ。暖簾に腕押しだな。しかしそこには何かが隠されている。水俣でも福島でもな。

あの戦争の時でも、ウソばかりだったでしょ。人災。人が、人に対して何でそんな酷いことができるのか。普通に考えたら出来ることじゃないわな。風力発電の被害は歴史的な事件になる。日本では、私一人が風力被害を訴えているけど、世界的には常識になっている。それが日本人全般に、どうしても理解ができないらしいのだ。

不思議な現象よ。ウィキペディアで風車病を検索して見た。世界中で、こんな記事になっている。私は何度か投稿したけれどすぐに消されていた。このカラクリが分かるかな。「Stop wind turbines」と検索すると、被害の否定ばかりが出てくるからそれに連動しているのだ。

それでも少しググると、それ以上に風力被害に抗議する記事が出てくるから、どちらが正しいのか明らかになっている。被害者の方が人数が多いのだよ。デタラメは止めろ。詐欺SCAMは止めろ。と言っているで。各地のエセ反対では、飽きることもなく土砂崩れだ、地産地消だと言っている。低周波は測定しても意味がない、とかさ。

風力発電の被害の本質が、こんな言葉に表れている。地域対策で被害者は消されてきた。スパイ工作員の活躍はスゴイものよ。暴行傷害、殺人事件なんやで。だから海外ではあんなにも烈しく抵抗しているのだ。日本には一つもなかったな。風力の被害など聞いたこともない、ってか。

『風力発電の被害』にも書いたけれど、どこから手を付けてよいのか分からない。牛や羊など家畜の被害は有名でしょ。日本でも当然あるわな。人間も動物だから当然影響がある。否定しようのない事実だ。それを日本人にどうやって伝えれば良いものか。日本人の行動パターンは変わらない。

しかしこれほど風力被害者をターゲットにした弾圧もこれまでなかったことだ。水俣や福島でも被害者差別はある。哀れなものよ。それを風力発電の被害では「アホよら、アホよら」と踊って喜ぶのだ。社会が、何かに憑かれたように狂気に導かれる。もはや行きつくところまで行くしかないんかい。

カタストロフィ、悲劇の大詰めを見るか。日本でも、こんなバカバカしい風力発電に反対しよう。今やっている各地のニセモノに騙されたらあかんで。原点に返って、汐見先生やニーナビアポントを読んでみて。エセの正体が分かるで。