黙り込む。

風力発電の被害は、水俣病と同じやり方だと書いてきた。とくに被害者に対する弾圧が酷い。社会がこれほどまでに無関心、と言うより嫌悪に満ちていたとは驚くではないか。これは被害者になった私の正直な実感だ。海外でも被害内容は同じだから、日本人でも情報としてそれは知っていると思ったけれど、どうやら日本独特なトリックがある。

それが水俣であり福島だ。国際用語になっているからアメリカ人でもヨーロッパ人でも、すぐにその意味が理解されている。風力被害は、既に「Wind turbine syndrome」として世界的な被害の内容が知られている。「Infra sound」、「 Infra-sonic」とかね。それを否定する論文も多く出されていて、レベンタールのようなコウモリ的な学者が有名だ。

その場その場で適当な論説を繰り返す。何でこんな奴が、と思うのだ。専門家と言う人種がこんな者でしかない事実がある。日本の御用学者と比べるともっと分かりやすい。「風力発電由来の低周波音は確認されなかった」とかね。よく言うよ。恥ずかしいとか、罪悪感はどこにもない。弾圧することが喜びなのだ。

各地のエセ運動会でも同じでしょ。「風力の被害とは土砂災害だ」と声高らかに宣言する。参加者は拍手喝采して喜びに震えている。全体主義じゃないか。中には風車病に苦しむ被害者もいるだろうに。特殊な口封じ作戦がある。それが地域対策としてのエセ反対運動だ。「考える会」、いったい何を考えるんだい。

それを集めて全国大会だと言う。もともとが偽物の寄せ集めだから、どこを切り取っても詐欺でしかない。再エネのさらなる推進、と堂々と宣言しているからね。アホらしさに仰け反るで。各地の大学には環境の先生がいるだろう。なんでそれが思考停止なのか存在の意味がない。それを非難する人もいない。

諦観と言うんだろうか。違う。低周波音被害に苦しみ、声の限りに訴えた人もいた。全国にはそんな被害者がいたのだ。東伊豆町や伊方町の被害報告は有名だろう。人々は嫌悪感を募らせた。被害者に対してだよ。これが海外の対応とは真逆、正反対じゃないかと私は書いてきたのだ。人々の憎しみは、少数の被害者に原因があるのかい。

だから環境省の報告書には、「被害を訴えるものは精神疾患のもの」と書いたんかい。この時点で、何かがオカシイと気が付くはずだろう。憎しみの連鎖。被害者にとっては社会の崩壊であった。風力発電は精神を破壊する。「由良町、風力発電被害」と検索して見て。由良町で一体何が行われたのかよく分かるで。

直接役場に電話した人も多いだろう。東伊豆町と同じで手慣れたものさ。「今はもう被害を言う人はいません」とさ。じゃぁ、これまでの被害者はどうしたんだい。笑いものだったんかい。関係ないだろう、ってか。これが行政の姿であった。今ももちろんそうなんやで。たまに風力発電被害で苦しいと言う人に遭う。

まだ生きてるやないかと答える。どうにかならんのかとしつこい。死んだら解決するでと言ってやる。死ぬまで苦しむがよい。もっと苦しめ。水俣や福島を見て、そこに住む人たちとも話してみた。被害者だけが割を見る。これが日本の風土なんかい。被害者は早く死ね。そのように言う被害者がいる。周囲を見渡しても助かる見込みはない。

「Pathway to disease」だよ。日本人も海外の情報を知ろうじゃないか。日本だけやで。ニセモノのエセ風力運動会を各地でやっているのはよ。カネ儲けのダシだよ。被害者を弾圧するのが面白いのだ。世界中から鴨葱にされるで。日本の終焉やで。