理性的に、現実的に、風力被害を見る。

前ページでは、h20年の段階で、風力発電の低周波音被害が認識されていたからこそ、協定書にその言葉が書き込まれたことを書いた。隣町の広川町では、h19年の汐見先生の『左脳受容説』P.126に書かれているように、風力被害に苦しむ人のいることが分かっている。下津町の大窪地区と連続して、被害者たちは塗炭の苦しみに喘いでいた。

それをまた行政や業者が弾圧する。由良町役場では、広川町の風車に低周波はないと叫んでいた。よく言うよな。これが公務員の姿であった。由良町で私が風力被害を訴えた時も、誰一人として「風車を止めろ」という人はいなかったのだ。「今はその時ではない」とかさ。黙らせることが目的であった。

だから我家を訪ねたジャーナリストはそのことを皮肉ったのだ。あの人たちは何者なのか?と。たまたま東伊豆町の風力被害に参加した人が、由良町にいた。汐見先生を由良町に招き、勉強会を開催したという。私は知らなかった。私が風力被害のことを知るのはh23年の11月末の事である。

畑地区の谷口さんから多くの資料を見せられて初めて現実の被害を知る。理解するまで長い時間を必要としたけどな。昔、長岡技大の「環境」という講座で、騒音測定の実習で訓練された私でさえそうなのだ。田舎の年取った百姓が、すぐに何が起こっている、なんてことは分かるまい。ましてや差別の厳しい地域だ。

親父からは「ほっとけ」と言われていた。それが社会通念であった。私も分かっていたはずなのにさ、議員選挙、風力裁判と、彼らの酷さをこれでもかと見ることになる。水俣の原田正純氏の言葉じゃないが、「被害があるから差別されるんじゃない」の意味の深さ、業の深さを見たものさ。

公害とはどこでもこんなものだろう。「哀れよな」と、谷口さんは何度も伝えてきた。添付した長州新聞の記事は有名だ。業者が漁師を訴えたとあるが少し違う。警察や裁判所が汚い策略をもって弾圧したのだ。罰金を支払えずに難儀したことは何度も聞いている。田舎の漁師に1500万円のカネなんかあるはずはない。

「なんかオカシイ」、と感じるのが普通だろう。私も御坊警察、検察官にやられたから、その酷さがよく分かる。今の日本の警察に、こんな悪逆な無法がまかり通るんやね。モリカケ問題や、花見会のアベを見て、こんなものが行政に君臨するのかと驚くのだ。アベ殺害は象徴的よな。その指示があって、風力裁判が行われた。

仕組まれた罠だったよ。幕末の、安政の大獄と同じだったよ。京大の小林先生や奥西先生が来たときに、由良町の感想をそう述べた。「由良町はまだ封建社会で徳川時代にあるんだ」と。風力発電の低周波被害で耳鳴りがして目まいがする。先日から首が引きつって痛くてならない。典型的な風力被害の症状だ。

車を運転するのに後ろを振り返れない。激痛が走る。あれからもう10年もこんな苦しさに苦しんでいる。泣きながら死んでいったアホな奴も見た。役場の人はそれを見て知っている。それなのに今では「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。大したものだよ。現実はさ、近隣の町の人から見たら、アホにしか見えないだろう。

何言ってるんやアホ、ということだ。それをまた由良町の人も十分に感じている。私がそんなに憎いか。人々の憎しみが私を襲う。何でそうなるんやろうね。「土砂崩れが心配」なら、その部分を補強したらいいだろうに。私の責任じゃない。

オマエがすべて悪いんだよ。責任感。社会の空気を読んで、ただひたすら役場の言うことに従うしかない奴隷たちよ。誰が強者なのか、誰が負け犬なのか、彼らはよく理解している。だから谷口さんらが死んでいったときに笑って喜んだんやろ。誰も責任を負わない。現状があるじゃないか、と。違うよ。

世界中で「Stop wind turbines !」、風力発電を止めろ、と人々は訴えている。日本だけそれがない。いつまでも懲りることなく「土砂崩れだ」といい続けるのだ。アホに着ける薬はない。単一社会、単一思想、単一の言葉。完全な思想統制に陥っているやないか。

由良町の風力発電を撤去してくれ。苦しくてならないのだ。たくさんの被害者が苦しみながら亡くなった。それを笑いものにしてよいはずがないやろ。

地方狙い撃ちの風車建設ラッシュ