風力発電、協定書のウソ

日本の全国各地で風力発電の自称・反対運動が起こっている。「考える会」である。起源はh18年の東伊豆町だろうが、当時集められた環境運動家たちはその後、各地で悪事を働くことになる。

風力事業とセットになって、地域対策をやっていたのだ。h24年に我家を訪れたジャーナリストたちにはその情報があって、「あの人たちは何者で、いったい何を目的としているのか、それを知ることが先決でしょ」と伝えていた。

私もヘンだなと思っていたけれど、彼らは各地の反対運動を取材しながらその実態に触れていたのだ。自称・被害者についてもな。低周波音被害者の会の窪田泰さんからも同じ情報があって、こちらは被害者の生の話が聞けた。

私も被害に苦しんでいるから、とてもその惨状には同情したものさ。しかし彼らはすぐに裏切っていく。地域対策の弾圧によるものなのか、苦しさのあまり錯乱して狂ってしまったのか、私にはどうしようもなかったものよ。

由良町の畑地区の谷口さんでさえそうだったから、風車病に苦しむようになると、簡単に狂いだす有様はよく分かった。というより残念でしようがなかったよ。「私たちは風力発電には反対ではありません」というのだ。

自称被害者から、どれだけその言葉を聞かされたことか。低周波音被害者になると苦しみに取り乱したり、延々と同じ話を繰り返す状況説明になる。ヘンな人になるのだ。そのために、汐見文隆医師は、話を聞いてやれ、と言っていた。

窪田氏は優しくそれらの被害者たちの相談に乗っていた。汐見先生の指示があったとはいえ、なかなかできるボランティアではない。今も彼の不在を嘆く声を聴く。私では役不足であった。ごめんなさいね。

h24年にジャーナリストがこの協定書を見て、ちゃんと低周波が被害があると書いてあるじゃない、と笑っていた。つまりな、最初から行政は、政治は、何もかも知っていたのだ。風力業者はもちろん知っている。

なんせ伊豆や伊方、全国各地ですでに被害者が続出していたんだから。その上での協定書になる。風力裁判で警察や検察官は、「低周波の法律はないんだよ」と嘲笑った。何がそんなに面白いのか。たくさんの被害者が助けを求めたのに、よくもそんなことが言えたもんだよ。

由良町の区長たちはそれぞれに何も分かってはいなかった。しかし私を弾圧することだけは理解していたらしくて、嵩になって私を攻めたてる。権力の末端に繋がることができたのだ。その嬉しそうなことよ。日本の地方自治、民主主義は簡単に破綻していたのだ。

彼らにだって、被害者たちが助けを求めたのだ。風力被害者いて苦しんでいることを知っていて、区長たちは私を弾圧した。そして「土砂崩れが心配だ」といったのだ。h20年の地元新聞にも同じ言葉が見えるから、カナリ練られたスローガンだ。

「考える会」のネーミングと同じことだ。私の書いた『風力発電の被害』は全国に行き渡ったと思っている。それでも各地の自称・反対運動では「風力被害とは土砂災害だ」と断言している。低周波音被害を否定する学者を担いで、環境を守るんだ、みたいな言葉を絶叫しているのだ。
地産地消の
再エネを作りましょうとかさ。笑えるじゃないか。中には本当の風力被害を知っている人もいるだろうに、その声は聞こえない。すでに塗炭の苦しみにある風力被害者を助けようなんて声はどこにもない。日本だけ、「Stop wind turbines !」の言葉がないでしょ。

風力被害に苦しむ人がいたら、「考える」ではなく、まず「風車を止めろ」でしょ。それをまた各地の環境運動家たちは「原発は止めても風力発電は止められない」と豪語する。いかに彼らが偽物であり、エセであるか分かるじゃないか。土砂崩れだってか。

だから海に作るのだと彼らは舌を出す。風力のイヌとはこれほど汚らしいのだよ。それが全国ネットで各地に風力発電を建設して利権を貪っている。カルトになっているから参加するだけで嬉しいのかもしれないね。宗教、イデオロギーとは恐ろしいものだよ。

一時、twitterに出ていた「あのちゃんマンガ」を添付する。今は風力発電の何が悪いのか、その実態をアップする人はいない。手垢のついた環境運動という、環境ビジネスの我利我利亡者ばかりよ。法律がなければ、何でもやれると思っているのだ。

人間レベルの低さに恥ずかしさはない。被害者もさ、10年前のように、何でも思ったことを言おうじゃないか。ウソつけっ、と怒ろうやないか。アホに、アホにされていたら世話ないで。かつて汐見先生は私に「風力発電を爆破してきなさい」、と命じた。私は泣いて手を合わせて震えたよ。