政治のバカ

風力発電の被害に遭遇して、政治ほど役に立たないものはないと痛感している。前ページに書いたとおり、今朝の産経にも同じことが書いてあって、風見鶏、売文屋、宣伝、と、ついつい卑しさを見てしまう。政治は必要なものとは分かっていても、こうまでアホらしさを見せられると、昨日の記事ではないけれど「新聞に矜持はないんかい」と口に出る。

英語で、「Stop wind turbines」と検索して見る。日本では、「風車を止めろ」という抗議すらできなくされているから、この言葉の意識もできないことだろう。そして残念なのは、私がこのように、海外のニュースを見てみないか、と勧めても、一切無視して笑っていることだ。

「由良さん、ここは日本ですよ」と。その嘲笑に会うたびに、差別の意味が分かってくる。由良町は、和歌山は差別の厳しい所だ。由良守應が追放処分にされた理由も差別問題だとされている。お上の作り話だけどな。水俣病で有名な原田正純さんも同じことを書いている。どうやら日本独策の思考システムになっているらしいのだ。

社会風土は、どんなことがあっても変えられない。その土地に染みついた悪霊みたいなものだ。そこに暮らす限りは、そこの空気を吸い、そこの風景を見ながら人生を送る。環境が人を作るのだ。水俣市の今を見ればもっとよく分かるだろう。40年経っても何も変わらない。

由良町だって、最初に谷口さんから被害の訴えがあってから、もう10年になる。このホームページの最初から、どれだけの被害者たちの苦しみや悲しみを書いてきたことだろう。人々の考えや言葉、見方は変わらない。「アホよら」、「関係ない」、と風力被害の言葉は拒否される。嘲笑い。何がそんなに面白いんやろう。

今もたくさんの風力被害者が苦しんでいるのにさ。その被害者たちが私を憎しみの的にする。そりゃぁ差別になるわな。親父は初めから「ほっとけ」と言っていた。その通りだったよ。彼らは全体として幸せなのだった。谷口さんも「畑地区の人と一緒に頑張っていく」と言って死んだ。なんだこりゃ、と思ったけど、これが真実だ。

今では、由良町だけでなく、全国で風力被害、風車病に苦しんでいるから風力発電を撤去してくれ、と言っているのは私だけになっていた。各地のエセ反対運動では、「土砂崩れが心配」と笑っている。初めから偽物だからさ、オウムの繰り返しよ。その地域にも被害者がいるだろうに、誰も低周波音の苦しみを言葉にしない。

逃げ出せばよいだけか。それがまた面白いのだ。苛めの世界よな。どうせ1%の被害確率だ。脳梗塞や癌になって死んでも、途中で狂い始めても、誰も気にも留めない。被害は確認されない、という。水俣や福島と同じよ。こんな所に住みたいか。管理される奴隷になって、言語障害と言うのか、禁句を頭に叩き込んで生きる。

世界の笑われ者よ。添付記事にはウクライナの戦争で、ガスや石炭が不足している記事もある。再エネ100%やなかったんや。カーボンゼロ、0だと言いながら、現実は全然違っているでしょ。日本人にはこんなことさえ分からない。なぜなんだろう、とさえ思わないんだから島国根性も大したものだよ。そりゅぁ、アホにされるわな。

150年前、由良守應たちは夢中になって海外の情報に学んで輸入した。駅馬車はすぐになくなってしまったけれど、物流、人の流れが劇的に変化した。守應の東京宅を訪ねる人が多くいた。その時の写真や日記、資料は残されていないか。知っている人がいたら知らせてほしい。彼の本を取りまとめたいのだ。

日本はエコファシズムに突入している。風力や太陽パネルに幻想を抱いている。窓を開けてみな。風なんか吹いているか。夜になると太陽パネルは発電しない。当たり前の事実が、プロパガンダで分からなくなっている。マインドコントロールだ。人々は催眠術にかかって何も分からなくなっている。

だから被害者が苦しんで死ぬと笑って喜ぶのだ。何が可笑しいんや。オマエは異常なんやで。風力発電には低周波音被害があって、人々の健康に害を与える。とくに精神面でヒステリックになるようだ。政治のトリックがある。政治のバカとしか言えんでしょう。