百鬼夜行の風力発電

前ページの「正論」記事と同じで、この本にはもう結論のエッセンスだけが書かれていた。サラサラッ、と読めて1時間くらいか。本代金が1650円だから、田舎の百姓にはちょっと高いかな。中身は、h24 年に我家を訪れてくれたジャーナリストたちと話したことと変わらない。

当時、私たちは風力発電の低周波音被害に苦しみ、「止めてくれ」と由良町役場や県、国会議員や警察などに助けを求めていた。このページに書いてきたとおりだ。だから最初からすべて、感情的にも感覚的にも分かっていたのだ。ライターたちはその後、二度と私と話し合うことはなかった。

私は、恥ずかしげもなく懇願したものよ。あっさりと吐き捨てられた。「またご縁があれば・」と。それから公の紙面で私たちの風力被害が社会に伝えられることはなかった。このページだけだったのだ。他の風力反対?とか言うサイトはさ、それは酷いものやったで。御用学者や環境運動家を招いてのお祭り騒ぎだ。

被害者をここまでこき下ろすか、アホにするか、と驚いたよ。風力の地域対策だったのだ。由良町の弾圧の嵐はこれまで書いてきたとおりだ。被害者も、弾圧する側も、それを眺めて指揮する人も、社会心理の暗闇を見て楽しんだことだろう。結局、私がなぜこのページを書いているのか、という理由が、人が、人に対して、何でここまで酷い虐待ができるのか。

そしてそれを笑いものにして喜べるのか、という社会現象であった。同じ場面は歴史のドキュメンタリーで何度もやっている。ユダヤ人を撃ち殺して笑っていたでしょ。水俣の差別は酷かったでしょ。福島でもな。今もそのままなんやで。私が旧家のボン育ちで、知らなかっただけなのか。

平和だった和歌山の田舎町に風力発電が出来て被害者が狂いだす。誰も助けないどころか、人々は被害者を否定して笑いものにした。なぜな。そもそも地球温暖化、自然エネルギー、再生可能エネ、脱炭素、この物語の組み合わせは「明日では間に合わない」とけしかけるプロパガンダ一色だった。

テレビも新聞も、政府広告も、風力や太陽パネルで溢れていた。少し前のバブル経済と同じで、何かおかしいじゃん、と気が付く人がいてもよかったのだ。私は建設コンサルで働いていたから、30年前からの風力発電の失敗を知っていた。風車を回す風なんか吹いていなかったのだ。各地で実正実験を繰り返しても結果は同じだったでしょ。

その失敗の積み重ねが、なんで役に立たなかったのか。私の卒業した長岡技大なんかも酷い有様で、生研の下請けになって喜んでいた。渡辺正さんも生研の先生だという。実は私も六本木の生研に出入りした時があった。それで余計にアホかいなと落胆したのだ。

あんなに頭の良い、上澄みのような優秀な人たちが、まるで魔法にかかったように近くの村上市で、風力発電の実証実験だと血相変えていたのだ。私の風力被害など受け付けてはもらえなかった。勉強ができただけのタダの奴隷たちに見えた。それほど生研の権威がすごかったんだろう。勉強のできなかった私の劣等感は瞬時に覚めていた。

その同じ生研の先生が真逆の論理で風力発電を否定する。皮肉な話よ。国家プロジェクトの渦巻く東大生研で、さぞや厳しい生活をされたことだろう。鈍感力。どうしても書かなきゃならなかったんだろうね。私の『風力発電の被害』がそうだから分かるのだ。生研のカラクリもな。論理の破綻は目を覆うばかりよ。

初めから分かっていただろう。いや、分かっていてやっているんだから関係者の犯罪は明らかだよ。関電でも東電でもいいけど、風力発電が役に立っている事実を示して見よ。税金でやっているんだから企業秘密もあるまい。国家機密か。それで風力裁判をしてまで警察が弾圧するんやな。北朝鮮みたいやで。

おかげで風力裁判を経て、我が家の先祖の業績に気が付いていた。私が最後の生き残りだった。だからこそ私が生まれた時、由良守應に因んで「守生」と名付けた話は何度となく聞かされた。源氏系、京都からの都落ち、よくもこんな所で千年も暮らしてきたものよ。京都の風情は嫌いなものだが、日本文化の原点だと思っている。

もし京都のどこかに巨大な風力発電が林立したらどうだろうか。およそ考えられんわな。そんなことを由良町は堂々とやってのけた。その風力被害者たちを貶めてその死をあざ笑った。許せることではない。